しっぽきり

「お嬢さま。愛しています」

 突然そんなことを言い出したハヤテ君に、ナギお嬢さまは驚いてしまいました。
 ハヤテ君が、自分を好きだったことではありません。ナギお嬢さまにとっては、そんなことは当たり前のことです。ハヤテ君がそんなことを言い出したことに驚いていたのです。
 そう、なにせハヤテ君は、天然ジゴロだけどプラトニックな関係を望む男。いきなり告白するような、積極的で情熱的な男の子ではありません。だがそれがいいと思いつつも、どこか物足りない物を感じていたのも本当のこと。それが、こんな告白をしてくれるなんて、まるで夢のよう。
 まあ、夢でした。
 聡明なお嬢さまはそれに気付きつつも、その夢に乗っかることにしました。
 
「そんな当たり前の事……」

 できる限り冷たい言葉で駆け引きを楽しもうと思いつつも、出てきたのはこの程度。頬も真っ赤。
 そんな現実ではないと知りつつも嬉しさを隠せないナギお嬢さまに、ハヤテ君も隠そうとしませんでした。
 お嬢さまへの愛情を。
 近づいてくるハヤテ君。
 優しく、そっと熱くなった頬に手を。
 そして、一気に抱きしめ、押し倒しました。
 あまりに突然の展開に、これが自分に都合のいい夢ではなく、理不尽に進んでいく現実
 その時お嬢さまを支配していたのは、自分の叫び声と、ハヤテ君の荒々しい息遣い。そして、それを掻き消さんばかりに早鐘のように鳴り響く自分の心臓。
 自分は都合のいい夢より、理不尽な現実を望んでいるんじゃないか?
 そんな思いを掻き消したいのか、あるいは肯定したいのか。
 思わずナギお嬢さまは叫んでしました。

「ハヤテ――!! ハヤテ――!!」



「どうかしましたか? お嬢さま」

 息一つ乱れず、平然とした顔でそんなことを言ってくるハヤテ君。
 その顔は、虫も殺さぬような善良なもので、先ほどまでの激しさは欠片もありません。
 まあ、夢でした。
 
「おはようハヤテ……」

 真昼間なことに、そしてなにより自分が見ていたのが理不尽極まりないことに憮然としつつも、体を起こし、髪をまとめるナギお嬢さま。乱れたままの心は、昨日一八禁スペースに行ったせいだと言い聞かせることにしました。
 
「いやー、それにしても明日からいよいよ旅行ですねー」

 そんなお嬢さまの胸のうちは露知らず、期待に声を弾ませるハヤテ君。

「どんな旅になるのか……今からドキドキですよ」

 そんなハヤテ君のせいで、ドキドキしているナギお嬢さまは、すっかり海外旅行慣れしているので、海外旅行にもさしてテンションは上がりません。なので、初体験のハヤテ君とは温度差がありましたから、浮かれているハヤテ君に、期待しすぎてガッカリしないようにと釘を刺しました。
 ですが、ハヤテ君はナギお嬢さまの忠告を気に留めていませんでした。ハヤテ君が気にしていたのは、ナギお嬢さまの顔が熱っぽく赤いこと。
 なので、体温を測るように、優しく、そっとナギお嬢さまの頬を触りました。
 それはまるで夢のよう。
 でも、これは現実。その後の展開は夢とは違いました。
 ハヤテ君が次にとった行動は、押し倒すのではなく、ナギお嬢さまの額に自分の額をあわせる。
 下心がないだけに、余計赤面してしまうナギお嬢さまをよそに、ハヤテ君は、お嬢さまに汗だらけだから早く着替えろと言います。
 そんな下心もデリカシーもないハヤテ君を、

「もー!! あっちいってろ!! ハヤテのバ――――――カ!!」

 と追い出す、お嬢さまは着替えを始めることにしました。
 愚痴りながらも思い浮かぶのは、ハヤテ君との思わぬ肉体的接触のこと。そして、つられて思い出したのは、バイトの途中に歩さんとした恋バナのこと。
 ――ハムスターはキスしたことがある。
 ハムスター定義は、手作りクッキーを食べるという二重間接キス的な定義ですが、やはりそこで思い浮かぶのは、歩さんと本当の意味で同学年のハヤテ君のこと。
 ですが、お嬢さまは即座にハヤテ君のキス経験を否定しました。
 そう、なんといってもハヤテ君はあのクリスマスの夜から、もう半年近く何もしてこない奥手な少年なのです。そんなのが、まさかキスをしているわけはありません。
 実際は、寝覚めにキス、隙を見つけてはキス、寝てても寝返りで偶然にキスとキス三昧の幼年期を送っていたのですが、それは本人的にはノーカウントですし、なによりお嬢さまは知りません。
 それはそれとして、お嬢さま的には慣れているとはいえ、ハヤテ君の、そしてハヤテ君との海外旅行は初めて。いつもとは違うミコノスの空の下となれば、まあ、恋愛にはまだまだ地味なハヤテ君が、もっと派手な行動に出たとしても、お嬢さまとしてはそれを許してやるぐらいの度量は、持ち合わせているつもりです。

「なぁ」

 そんな感じにエアー自分に同意を求めるナギお嬢さまですが、実際にいたのはエアー自分ではなく、マリアさんでした。ハヤテ君が気を利かしたつもりで、お嬢さまの様子を見てくるように頼んだんだとか。
 そんな前情報もあって、頭を疑われたり、ワカメみたいな前髪を疑ったりしながらも、明日の旅行は着々と近づいているのでした。








 一方その頃、トルコの夜を行くアンカラエクスプレス。
 朝からアンカラ・ゴルディオン・カッパドキアと無理のある日程を若さで通した一行は、翌日イスタンブールを一日かけて観光、その翌日にはギリシャ、そしてミコノスに向かう予定でした。
 ミコノスはリゾートだからゆっくりできるとか、日程がよくできてるとか、そんな旅の行程を話していると、美希さんが寝台列車での移動も、アテネからミコノスへ船で移動と徹底的に空を避けようとするヒナギクさんをチクリチクリといじめます。
 そんないじめへの反撃は、星でも眺めながらゆっくり行きたいとのこと。乙女らしく聞こえなくもないですが、普段が普段、煽りアングルな顔も男前な感が否めないので、説得力があまりありません。そんなヒナギクさんに、体力なしだからリゾート決め込むために飛行機でミコノス入りを宣言する美希さんたち、一方下田へ自転車行きをチョイスする肉体派ハムスター歩さんは船行きを宣言。
 今後のことを話し合っていると、泉さんがメール情報でこんなことを言い出し始めました。

「そういえばハヤ太君も……五月二日にミコノスに着くって言ってたよ」

 ハヤテ君がミコノスに着くという展開に思わず身を震わせるヒナギクさん歩さん。
 一方、時差を色々と考えると、昼到着で空港で鉢合わせるかもしれない、これは運命だと泉さんを囃し立てる美希さん理沙さん。
 そんな勢いでポロっと美希さんが泉さんに言い出したのは、ハヤ太君にファーストキスをあげちゃえよというストレートな一言。
 ですが、いままで嬉しそうにいじられていた泉さんの反応は、その一言だけには違ったものでした。

「え!? ファースト……?」

 脊髄反射的な否定ではなく、既にないものは出せないとでも言わんばかりの反応。
 ヒナギクさんと西沢さんは、ハヤテ君がどうのこうの、到着が遅れてしまうから会うのも遅れてしまうのでああだこうだ、でも会えるとは思ってなかったからなんだかんだと動揺していたので反応できませんでしたが、泉さんとは長い付き合いの美希さんと理沙さんは、その違いに勘付きました。

「泉……お前もしかして……」

 そして、二人が出した結論はこんなものでした。

「ハヤ太君とキスした事があるのか?」

 驚きなのかなんなのかとにかく悲鳴をあげる泉さん。
 その反応に、大変ショックを受けるヒナギクさん・歩さんと、ますます確信を深める美希さん・理沙さん。
 問い詰められた泉さんですが、実際にファーストキスをしたのは、幼い日に犬から自分を助けてくれた少年でハヤ太君じゃありません。なので、

「ハヤ太君とはキスした事なんてないよ―――!!」

 と墓穴を掘りました。
 当然のごとく「とは」を拾われてしまい、夜中二人に問い詰められることになってしまいました。
 そんなわけで逃げ出した泉さん、追いかけるバカ二人という構図に、取り残されたのはヒナギクさんと歩さんでした。

「い……いや~白皇の人は意外と進んでるんですね~」
「私も初めて知ったわよ」

 十代後半女子がキスで進んでるのかどうか俄かには判断のつかない歩さんですが、自分に経験がない以上、そう感想を搾り出すしかありませんし、ヒナギクさんも初めて知った以上、そう反応するしかありません。

「ヒナさんは……キスってした事あります?」

 相手のことを知りたいのか、単なる興味か、あるいは場の空気に流されたか、そんな質問への答えは、

「あると思う?」

 頬を染めながらも淡々としたものでした。
 言葉に詰まった歩さんは、こんな仮定を持ち出しました。

「けど、もしハヤテ君がそうやって迫ってきたらどうします?」

 ヒナギクさんのしばし迷った後の答えは、

「殴っちゃうかも……」

 と妙にリアリティのあるものでした。
 

 

 そして、翌日。
 家でペットに見送られ、空港では最後まで名残惜しそうな執事長に見送られ、ナギお嬢さまとマリアさんのお供として、

「はい。ありがとうございます。よい旅を」

 成田空港に入るのも、飛行機に乗るのも、そして海外に行くのも初めてのハヤテ君の鼓動は、

「楽しい旅になるといいな」

 これから始まる旅に高まるばかりなのでした。












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ハヤテのごとく!210話【それはキスの記憶】畑健二郎
 ナギたんが淫夢をみて目覚めると本当にイヤらしい天然ジゴロがお待ちかね。なんとデリカシーのないセリフの数々……お嬢さまでなくてもわざとやっていると疑うだろう。いまさらだがひとつ屋根の下に暮らしているからこそ、みだりに寝室に立ち行っちゃいけないと思うんだ...

2009.02.05 00:11 | 360度の方針転換