しっぽきり

 小鳥の囀りもまだ眠そうな午前四時二二分、お嬢さまはどうした加減か目を覚ましてしまいました。
 少しの間ほけっとしてから、薄暗い室内を見まわすと、時間も時間だけあってマリアさんはまだ夢の中。時計で時間を確認などしているうちに、再び眠る気分でもなくなってしまいました。
 かといって、することも特に見つからないお嬢さまは、とりあえず着替えて表に出てみることにしました。

 広大な三千院家の庭を一人歩くナギお嬢さま。
 音といえば小鳥の鳴き声ぐらい。朝露に湿った草、紫色の空、そして東の空を朱色に染める朝日。澄んだ空気を吸い込みながらナギお嬢さまは思いました。
 朝ってさわやかなんだ。
 夕方の四時なら知ってはいるが、朝の四時となるとまるで別次元の概念だと感じていたお嬢さまには新鮮な発見でした。
 そして、発見がもう一つ。
 グギュルルル。
 お腹がぺこぺこ。
 これは困ったことです。そういえば、夕食から一〇時間近く。コーヒーを飲んだぐらいで、何も食べていません。なので、お腹がぺこぺこ。
 時は朝の四時半。マリアさんに作ってもらおうにも、起こすには忍びない時間です。目覚めればすぐに朝ご飯が約束されているのならともかく、しばらくは何も食べられないとなると、なおもお腹を満たすことへの想いは募ります。
 そんなナギお嬢さまに、届いたのがおいしそうな匂い。
 この家には、マリアさん以外にもいたことを思い出したナギお嬢さまは、匂いのする方向にテクテクと歩いていきました。


 
 台所のドアを空けると、そこにはコトコト煮立つお鍋と、エプロンをしたハヤテ君。
 味見して、おいしいと満足そうに頷くハヤテ君。そんなハヤテ君に、近づいていくとお嬢さまは話しかけました。
 
「それおいしいのか?」

 特別に大きな声を出した覚えもありませんでしたが、ハヤテ君は、飛びのき振り向き構えるのオーバーリアクション。
 まるで幽霊でも見たか、ジュースの自動販売機の側にある何故かトタン板で覆われている自動販売機で買ってきたDVDをヘッドホン使用で視聴しているところを母親に見られてしまったかのようなハヤテ君の反応に、自分が早起きするということが相当なレアケースと認識されていることに、にナギお嬢さまはいささかご立腹するのでした。
 お嬢さまが早起きしていることに驚きつつも、挨拶してくるハヤテ君。
 ナギお嬢さまは、ハヤテ君が本当に毎朝、早起きして食事の仕度を済ましている事を聞くと、改めてハヤテ君のお母さんぶりを確認し、「お母さん→母性一杯→女の人みたい→女装させてもOK」と自分とマリアさんの方向性が間違っていないことも確認するのでした。
 
「それでお嬢さま、なぜこんな朝早くキッチンなんかに?」

 と、問われたナギお嬢さま。世界に冠たる三千院家の令嬢としては「早起きして、お腹が空いてたまらんと思っていたところに、おいしい匂いが漂ってきたから、それに釣られてキッチンに来ました」だなんて、まるで犬か猫みたいな理由を喋るわけには行きません。なので、特に理由はないと偶然であることを強調しようとしましたが、ぺこぺこのお腹が裏切りました。
 いわく、ぐぎきゅるる。
 鳴ったお腹に全てを悟った風な顔のハヤテ君。
 正しいのですが違います。お嬢さまとしては、断固として違います。それを主張してみても、ハヤテ君は「はいはい、分かりました分かりました」と分かってないのに分かっているように頷く始末。
 なんとか説き伏せようとしますが、ハヤテ君の言っていることは、お嬢さまの真実としてはともかく、事実としては概ね正しいことでしたし、うまく反論できません。
 しょうがなく、諦めて、鍋の中身にチラリと目を移すお嬢さま。リンゴが丸ごとプカリと、中々豪快な料理っぽいですが、とにかく美味しそう。生唾をゴクリと飲むお嬢さまでしたが、ハヤテ君は非常な宣告をしてきました。
 これは、朝昼夜兼用の下ごしらえをしているので、朝ごはんができるのはまだ先。
 お嬢さまは、愕然としました。目の前においしそうなものがあるのに、まだ食べられない。朝ごはんはだいぶ先。つまりは、食べられない。空腹は満たせない。
 三大欲求の一つを満たせないという残酷な現実に打ちひしがれるお嬢さま。
 ですが、ハヤテ君は執事でした。つまりは、万能。
 一分少々待ってくださいと言うと、取り出したのはフライパンと油と卵にトマト。
 卵を割って、菜箸でかき混ぜたところにトマト。卵の甘い匂いがキッチンに広がりました。
 そして、約束通り一分少々経つと、お嬢さまの目の前にはお皿に盛られた卵とトマトの目の前が置かれました。
 いくらハヤテ君が作ったとはいえ、卵とトマトの炒め物。本当に美味しいのかどうか、お嬢さまとしては半信半疑です。

「小腹が空いたときにはあっさりしてておいしいですよ」

 ハヤテ君の言葉にだまされたつもりで、箸で一掬い、口に運ぶお嬢さま。その瞬間、絶句しました。
 卵の甘味、それを引き立てさわやかに流していくトマトの酸味。

「すごくおいしいじゃないか……」

 あんな簡単な料理だったのにと驚くナギお嬢さま。こんなさわやかな炒め物は初めてです。
 誉めつつも箸を止めないナギお嬢さまに、ハヤテ君は料理を誉められたときの基本である薀蓄を垂れ始めました。
 
「この卵がとれたのは東京都練馬区の三千院邸。広い場所でたっぷりと運動をして自然なエサを与えられのんびりと育った鶏から生まれた卵。経済性を優先させて作られた不自然なものと、どっちがうまいかは比べるまでも無い。
 トマトも、有機農法の路地栽培で実が赤くなるまで待ってからもいだ新鮮そのもののトマト」

 更に、自然の大切さとか現代社会への警鐘とか、蜂蜜と卵の組み合わせは離乳食には危険とか、ひとしきり鳴らした後、一番大事なことを言いました。
 作ったのはマリアさん。
 マリアもたいしたものと、信頼の三千院ブランドを褒め称えるナギお嬢さま。
 誉めるうちに無事完食。
 満足してハヤテ君が入れてくれたコーヒーをすするナギお嬢さま。
 改めてハヤテ君の料理の腕を誉めつつ、あることに気づきます。
 いつもよりちょっと濃いのです、コーヒーが。
 おいしいけどいつもより濃い。不思議に思って問い詰めると、言いづらそうに、こう答えました。

「いや、その……濃い目じゃないと……ほら……」

 その言葉の裏に、なにか上から目線的なものを感じるお嬢さま。
 濃い目じゃないと、満腹になった自分が眠たくなると思っている!
 そう指摘するナギお嬢さまに、ハヤテ君はそっぽを向きながらも「食べてすぐ寝るのはよくないかな~って」などと、身を案じながらも上から目線的なことを言い出し始めました。
 当然、お嬢さまは怒りました。
 こともあろうに、ハヤテは自分をおいしそうな匂いにつられてキッチンに寄ってきた食いしん坊な上に、お腹が一杯になっら眠くなる単純な生き物だと思っている!
 しかし、満腹だけどご立腹なお嬢さまを再びお嬢さま自身の体が裏切りました。
 くあ……。
 今度は欠伸。なんとも、素直なお嬢さまの体でしたが、心はそうではありません。「今のはクシャミが出そうになっただけ」そう主張しますが、ハヤテ君の反応はまたしても、子供をあしらうように「そうですね」の連呼。
 真実と事実がどうで説得は困難と悟ったお嬢さまは、その場を去ることにしました。
 第一お腹が一杯になった今、キッチンに用はありません。そう、ナギお嬢さまは漫画家を志すクリエイター。他のクリエイターが作った深夜アニメをチェックし、時代の流れを知らなければなりません。ついでに、あくまで習慣として顔を洗うかもしれないけど、眠気を覚ますためなんかじゃありません。
 そんなわけで、洗顔後、録画深夜アニメ鑑賞部屋に向かうナギお嬢さま。
 この執事もかっこいいけどハヤテはもっとかっこいいとか、OPとED豪華すぎとか、陸前とついた駅って割りと多いから聖地めぐりのときは気をつけないとなとか、次々とチェックしていくナギお嬢さま。
 その視線は真剣そのもの。眠気の欠片なんてありません。あったのは眠気ひと塊。
 飛びかける意識に、このままではハヤテ君の言う通りと危機感を持つナギお嬢さま。
 プライドにかけても眠るわけにはいかないと対策を練るナギお嬢さま。
 そうだ、体を動かしてみよう。
 体を動かすというと、反射的にWiiが浮かぶナギお嬢さまでしたが、いかんせんWii部屋は録画深夜ビデオ鑑賞部屋からは遠く、そこまで行くのは面倒くさい。なので、とりあえず適当に体を動かすことにしました。
 両手を掲げ腰を左に回してエイエイ。今度は右にエイエイ。キ~ンキ~ンと節をつけて両手を上下してモンキーダンス。
 そうこう体を動かしていくうちに、細胞が活性化し、眠気もどこかに吹っ飛んでいったように感じました。
 心地よい疲労感と充実感に、ラジオ体操の存在意義を実感すると共に、早起きはいいものだとも実感するナギお嬢さま。
 これからは、すこし生活を改めようかなどと考えるナギお嬢さま。しかし、爽やかなのはいいけど、体操は少し疲れる。このままだと一日もたないかもしれない。冷静にそう考えたナギお嬢さまは自室に戻って少し休むことにしました。
 マリアさんを起こさないようにそっとベッドの端に腰掛けるナギお嬢さま。
 手持ち無沙汰なのでとりあえず、無駄に八つある枕の一つを手に取るナギお嬢さま。
 眠らなくとも、横になって目をつぶるだけでも体は休まるという豆知識を思い出すナギお嬢さま。
 とりあえず横になるナギお嬢さま。
 フカフカのベッドと、柔らかな枕、マリアさんの体温の温かさに一瞬意識を飛ばしかけるナギお嬢さま。
 ハッとして、ベッドから出たほうがいいんじゃないかと思い始めるナギお嬢さま。
 体操して眠気なんか吹き飛ばしたんだし、コーヒーも飲んだんだから眠るわけないだろと、常識的に考え、そのままベッドに寝そべるナギお嬢さま。
 何か考えるのが面倒になってきたナギお嬢さま。
 寝息を立て始めるナギお嬢さま。
 隣でマリアさんが起きた頃にはグッスリ熟睡のナギお嬢さま。
 寝る前と服が変わっていることを、マリアさんに不思議がられるナギお嬢さま。
 知っている執事と知らないメイドさんの会話なんて知る由もない夢の世界の住人ナギお嬢さま。
 すっかり高くなった朝日を受けて目覚めるナギお嬢さま。
 いつもどおりの朝のはずなのに、何か後ろめたい気分の寝起きのナギお嬢さま。
 一度起きていたことを思いだし、二度寝をしてしまった自分に愕然とするナギお嬢さま。
 着替える必要が二度寝だからないことに憮然としながらも、起きるナギお嬢さま。
 朝食の準備を済ましたハヤテ君に、「あっ、やっぱり」的な苦笑に眉を潜めるナギお嬢さま。
 自分に挨拶をしてくるマリアさんが、ハヤテ君から全部聞いて内心笑ってるんじゃないかと疑心暗鬼のナギお嬢さま。
 そして、爽やかといっても、眠る前に油物を食べたせいか食が進まないナギお嬢さま。

 そんな訳で、ナギお嬢さまの二度目の朝はあまり爽やかではないのでした。












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2008.10.22 22:19 | 360度の方針転換