しっぽきり

「こんな所で、何をしているのだ?」

 かけられた声は聞き間違えようのない声だった。
 振り向くと、そこには僕が座っていてようやく頭一つ見上げる形になるナギお嬢さまが、腰に手を当て立っている。

「……お嬢さま」

 呟くと、ゆっくり近づき、僕の左隣に腰掛けた。

「お嬢さま……」

 何か喋らなければならない。寝不足と答えの出ない悩みで疲れきった頭で言葉を探す。

「えっと……パーティはいいんですか?」

 ようやく出てきたのは当たり障りのない質問だった。けれど悪くはない。歓声は聞こえてくるし、この場のホストと言っていいナギお嬢さまがいつまでも席を空けていてはまずいだろう。

「まったくハヤテはヒドいやつだ!」

 けれど返ってきたのはここに来た理由ではなかった。
 なにかナギお嬢さまにはっきりと分かる形で糾弾されるようなことをしてしまっただろうか?
 問い返すと、ナギお嬢さまが僕を軽くニラむ。

「さっき私がプールに突き落とされたのに、助けてくれなかった!!」

 「あ……」僕はさっきプールで見た光景を思い出す。朝風さんに突き落とされ、あっぷあっぷと溺れまいともがくお嬢さま。

「で……でもあれはなんというか、お友達とじゃれあってたみたいな……!!」

 すぐ側に西沢さんもいたし大丈夫だろう。そう思っていたのだけれど、ナギお嬢さまは僕の言い訳を許してくれなかった。

「だが万が一という事もある!! それにミコノスでも言ったではないか!!
 人は……水に浮かない!!」

 ミコノスだけではなくさっきも、そして何度も聞いた、お嬢さまの信念とすら言える言葉、そして視線。どう返していいのか分からず、しばし無言でいると、ナギお嬢さまがため息を一つ、愛想が尽きたとばかりに僕に背を向ける。

「あ~あ。主のピンチを助けないとは……執事失格だな!」

 お嬢さまにしてみれば、軽い不満ぐらいのつもりだったのだろう。でも、その言葉は僕の胸を酷く重たくさせる響きを持っていた。
 執事、失格。
 そうなのだろう。
 執事であるならば、なにをおいても主人を最優先にすべきなのに、選べないぐらいに大切な人を抱き、迷い、決断することができない。

「す……すみません……」

 だから謝るしかなかった。俯くしかなかった。
 息苦しい時間が続いた。
 沈黙を破ったのはナギお嬢さまだった。 

「なぁハヤテ!! あのジジイからもらった石を見せてくれないか?」

 振り返ったお嬢さまの仕草、声、表情。どれもが、一転して明るい。
 言われるままに首から王玉を外し、ナギお嬢さまに差し出す。

「これですか?」
「うむ。ちょっと貸してみてくれ!!」

 ナギお嬢さまは受け取った王玉を月にかざす。雲に遮られることもなく降り注ぐ月の明るさと照明が、王玉の輪郭を鮮明に映し出す。

「キレイな石だな」
「ええ。そうですね……」
「キラキラ中が光って、まるで星のようだ」

 お嬢さまの言葉通り、石は月と星の光に照らされて刻まれた文字を輝かせている。
 外見だけなら、その通りなのだろう。何も知らない人が見れば、身につけたいアクセサリー、いつまでも見ていても飽きることのない宝石。そんなところにすぎないだろう。
 三千院の遺産相続のことを知っている人間にとっては、是が非でも奪い取りたい巨万の富を約束する鍵。
 そして、僕と、ナギお嬢さまと、アーたんにとっては、

「これは絆の石だと教えられたんだ。
 人と人の……絆を試す星の石だと」
 
 永遠を約束した二人の少女。どちらとの絆が深いかを試す、残酷な選択を迫る石。

「なぁハヤテ」
「はい……?」

 その言葉は、

「この石のせいか?」

 どうしようもなく正しかった。

「ハヤテが苦しそうなのは……この石のせいか?」
「……え?」

 動かしがたい真実だった。
 でも、認めるわけにはいかない。嘘でいい。真実を覆いつくさなければならない。

「あ……えっと……」

 口ごもる。何を言えばいい? そんなことありませんよ、か? 大丈夫です、か?

「言葉にはしなくていい」

 今度も、ナギお嬢さまは僕の反論を許してくれなかった。

「言葉は不完全だから。言葉にすれば誤解を生む。勘違いの元となる」

 僕の言おうとした言葉は、

「そうだろ?」

 柔らかなナギお嬢さまの笑顔に行き場を失った。
 何も言えなくなった僕は黙るしかなかった。
 それはつまり、真実の肯定だった。

「この石さ、なんか貴重品らしいんだよ。世界にもういくつもないっていう……」
「……そうですね」

 なんとか返事をする。

「けどその貴重な石が、ハヤテを苦しめているのか……」

「だったらこんな石は」

 微かな音がした。金属がこすれる音。
 慌ててお嬢さまの手を見る。シンプルな持ち手に複雑な文様の先端。クルミ割り機が握られている。そして、そこには、王玉が挟み込まれていた。

「お嬢さま何をー!!!!」

 予測できるたった一つの、そして理解できない未来に叫び声は自然とあがっていた。
 けれど、間に合わなかった。
 駆け寄る間もなく、クルミ割り機は握りしめられていた。
 非力なはずのナギお嬢さまの握力。それが込められるだけで十分だった。
 パアアアンという軽い音が響いた。閃光が走った。無数の欠片が飛び散った。
 王玉は、一つの未来は、砕かれた。

「あ……ああ……」

 僕が呻く中、ナギお嬢さまが満足げにほほえむ中、月光に、街明かりに照らされて破片が輝き落ちていく。
 王玉の根本の、紐を通された欠片の中最も大きな一つが地面に落ちたとき、僕はようやく言葉を取り戻した。

「お嬢さま何をー!!!?」

 発した言葉はさっきと同じ言葉だった。さっきのは起こってしまう未来に怯えた言葉、今のは起こってしまった過去に恐怖した言葉という違いはあったけれど、同じ言葉だった。

「何って、ハヤテを苦しめ悪者を成敗してやったのだ」

 答えるナギお嬢さまの言葉は、信じられないくらいに明るい。

「これであのジジイの企みもすべて水の泡。気分爽快だな」

 何を言っているのかが理解できない。

「この石は……!! この石はお嬢さまにとって大事な石なんですよ!?」

 駆け寄り、石を広いあげる。もちろんそれは原型を止めていない。

「三千院家の……何百兆というお金を継ぐために必要な石です!!!
 この石を壊せば本当に……おじいさまはお嬢さまに遺産を渡さないと……!!」
「はは別にいいではないか。こんな石コロ一つでハヤテが苦しむなら、そんなものはいらないのだ!!」

 お嬢さまはそう言い切ってくれる。
 僕のためを思ってしてくれたこと。

「よくありませんよ!!」

 でも、そんなの関係ない。
 そんなことじゃない。そんことで悩んでいたんじゃないんだ。僕なんてどうなってもよかった、どうなったってよかった。

「お金はお嬢さまを守っているものです!!」

 だから選べなかった。選んだら壊してしまう。

「お嬢さまの力となり!!! お嬢さまの人生を、あらゆるものから守っている大事なものです!!!」

 空気のように存在して、それが当たり前であると感じている。

「この旅行だって!!
 パーティーだって!!
 ヘリも船も飛行機も……!!」
 
 旅行中だけでいくら使ったかも分からない。想像もできない。
 お嬢さまだってそうだろう。頓着してなかったはずだ。

「別荘やあのお屋敷だって……!!」
 
 帰る場所だってそうだ。ただいまと帰れる場所があるのだって、

「全部!! お金があればこそじゃないですか!!」
「ははまぁそうだな」

 叫び、まくし立てた僕の剣幕に、ナギお嬢さまが苦笑した。そして、認めた。

「たしかにお前の言う通り……今まで私は金に守られてきたのかもしれん」
「そうですよ……それなのに!!
 それなのに……なぜ……」

 手のひらの上に乗せた石の信じられない軽さに体が震える。
 滲んだ瞳に、世界が揺れる。
 もう取り返しがつかない。お嬢さまの世界は壊れてしまった。
 そう、思っていた。

「だったら……」

 優しい声がした。
 肯定してくれる声。信じてくれる声。
 いつのまにか振り向いていた、長い金色の髪をなびかせる風が、ゆっくりと未来を運んでくる。
 その風の中で、
 
「ここから先の未来は……お前が私を守ってくれ」

 君は微笑んでいた。












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ハヤテのごとく! 第252話「ここから先の未来」
「だったらこんな石は――」  想像通りというか、ナギだったらそうするよなあ、と

2009.12.10 00:07 | 気ままに日日の糧