しっぽきり

「ああ、ついに……最後の夜になっちゃった」

 せっかくの旅行だからあれもこれもと買い求めた品物を前に、歩さんは思わず溜息を吐いていました。
 せっかくの海外旅行。
 海外でしかすることのできない経験や、朧気に見えた将来の目標、夢が正夢になったハヤテ君との思い出、そんな旅行が終わってしまうのです。明日には飛行機にのってもう帰国。
 ともすれば、歩さんの普通感覚からすれば、

「帰りたくないなぁ~日本……」

 と心が重くなるのも当然のことでした。
 そんな親友の落ち込みっぷりを横目に、ヒナギクさんは手紙を取り出しました。

「けど何かしら? この美希たちのくれた手紙……」

 一旦分かれる前に、三人から渡された手紙でした。
 ホテル屋上という場所と、一九時という時間、水着持参という最低限の情報と、なんの意味もなさそうなテンション高めのウサギの絵だけが書かれた手紙。
 いまいち、三人の意図が分かりませんでしたが、最後は派手とか、後半がどうとか言ってたイベントがこれなのだろうと、ヒナギクさんは判断し、水着を抱えて、歩さんとともに三人が出してくれたリムジンに乗り込みました。
 そして、車はホテルに到着。言われたとおりに屋上へ。エレベーターから降りると、そこには、

「お帰りなさいませ!! お嬢さま!!」

 大勢の執事とメイドさんが二人を出迎えました。
 ヒナギクさんにしてみれば、お嬢さま扱いなんて受けたことがありませんし、歩さんにしてみても、執事研修とやらでハヤテ君にかしずかれたことはあっても、歩さん的に優先順位は執事じゃなくハヤテ君。こんな風に、純正のお嬢さま扱いをされるのは初めてです。
 照れくさいのか、気まずいのか、訳が分からないやらで戸惑う二人でしたが、約束の時間はもうすぐ。気を取り直して、列をなしている執事・メイドさんの間を進んでいきました。すると、その先には、「ようこそ」と張り紙された扉。
 どうもここらしい。
 おずおずと二人は扉を開きました。
 見上げれば屋根から広がる色とりどりの電飾、夜の風に舞い踊る紙吹雪。視線を降ろせばプールが横たわり、そこには風船が流れています。所々に置かれたテーブルには、フルーツやらワインやら料理やら何やら。
 一言で言うと、豪華でした。

「何これスゴーイ!!」

 と歩さんが喜んでしまうぐらい、豪華でした。
 そんな歩さんの喜びぶりに気をよくしたのが、自慢げに美希さん・泉さん・理沙さんの三人が現れました。すでに水着は着用済みで準備も万端。どうやらプールでパーティーをするから水着をもってこいと言ったようでした。
 旅の最後は派手に行くとの宣言通り、ギリシャ最高のホテルのプールを自分達のために貸し切ったのだとか。
 貸し切りという富豪スメルのする言葉にこれまた驚く歩さん。
 三人の言うところでは、ナギお嬢さまに「旅の最後さあ、なんか派手にやりたいんだけど、このホテルって、三千院家所有でしょ? 頼むよ、ナギちゃん」と頼んだら、一人で手配してくれたというのです。

「で……でもいいのかな? そんな贅沢して……」

 喜んではみたものの、ホテルのプールを貸し切りだなんて贅沢の極みです。博物館貸し切りとか、ヘリコプターだとか、いろいろありましたが、それと比較してどうなのかとか、見当もつきません。そんな果てしない贅沢を、させてもらっていいものか。歩さんはナギお嬢さまに思わず尋ねました。
 すると、ナギお嬢さまは歩さんに背を向け、

「別にいいさ」

 大したことじゃないように言おうとしました。実際、ナギお嬢さまにしてみれば、大したことではありません、金銭的には。

「せっかくのみんなの旅行だ。最後に一生忘れられない夜があってもいいではないか……」

 けれども心理的には大切なことでした。
 次第に赤くなっていくナギお嬢さまの頬に、そして気持ちに歩さんは微笑みました。

「ありがとうナギちゃん」
「べ……別にお前のためじゃないんだからな!!」

 ツンデレでした。
 表情、口調、台詞、ついでに声。
 何もかもが完璧な、真剣で丁寧できれいなツンデレでした。
 
「さぁみなさーん! お料理できましたよー」

 そんなツンデレムードを破るように、待ってましたの歓声を受けて芳香を放つ鳥の丸焼きを持ったマリアさんが現れました。
 
「なんかマリアのメイド服も久々だな」

 ナギお嬢さまの言葉通り、マリアさんはとても長い数日振りにエプロンドレスとカチューシャのメイドスタイル。

「そうですわね。けど、この服の方がなんだかしっくりきますわ」

 そう答えて笑いました。
 なんだかんだ言って、メイド服から離れられないんだなー。ナギお嬢さまが納得していると歩さんが叫びました。

「はうわぁ!! こ……これはぁ!!」

 なんだなんだと振り向くとそこにあったのは、

「こ……これはぁ、殻つきのクルミ!?」

 クルミでした。
 ナギお嬢さま的には、「それがどうしたのだ?」な物体でしたが、歩さんにとっては、クルミといえば、お団子にペースト状にかけられているか、クッキーの上にのっかっていて、虫歯のときに食べると、無駄に口に残って虫歯の歯で噛んでしまい痛たたぐらいしか縁がありません。それが殻付きなのです。歩さん的には、ブルジョアジーの証であり、マドラーと並ぶマハラジャアイテム。
 そんなわけでテンションがあがりました。私は今、ブルジョアジーの世界を垣間見ている。その思いが歩さんをブルジョアジー的行為に走らせました。

「映画なんかではほら、ダンディーなお金持ちがこう……」

 クルミを手で持って、割ろうとしたのです。

「こう……!!」

 ですが、クルミは割れませんでした。
 なので、割れないのは自分がマハラジャパワーが低い、真のブルジョアジーじゃない証拠なんだと落ち込む歩さん。ブルジョアジーの世界を垣間見たばっかりに、自分の普通度を思い知らされるだなんて……。落ち込む歩さんでしたが、ナギお嬢さまの、というか世間一般の基準で言えば、

「いやいや。女の握力じゃ割れないのが普通だ。
 ヒナギクみたいな握力オバケならともかく、普通は無理だぞ」

 慰めるナギお嬢さまの言葉に、ヒナギクさんが怒りました。
 
「だれが握力オバケよ!!」

 そう、ヒナギクさんも、か弱い乙女を目指したほどの少女です。

「ヒナさんはい」

 くるみの殻なんて、

 ミシッ メキメキ ベキッ

 木っ端微塵でした。
 そもそも本当にか弱いなら、か弱い乙女なんて目指さないし。

「なるほど」
「悪かったわね握力オバケで!!」

 怒るヒナギクさんをスルーして、ナギお嬢さまが持ち出したのが、クルミを挟んで梃子の原理で割るクルミ割り機でした。

「おーホントだ。割れる割れる」

 そんなわけで勢いでベキベキと行く歩さん。普通なら割れるはずなんだけどな、と首を傾げ、まじまじと自分の手を見てため息なナギお嬢さま。
 ですが、スルーされたことも含めた一連の流れにヒナギクさんはお冠でした。

「まったく……すぐ人をおもちゃにするんだから……」
「あははごめんごめん」

 そんなヒナギクさんに謝りながらも、歩さんはポツリとつぶやきました。

「でもよかった。ちょっと元気でてきたみたいて……」

 そういえば、今、私あのことを忘れてた。そのことに気づくと、ヒナギクさんは、今の、そして昼間の歩さんを思い起こしていました。
 いくら海外旅行とはいえ、歩さんのテンションの高さは少し上がりすぎているようにも思えました。
 もしかして、私を、元気づけようとして……?
 
「ありがとう……」

 口をついて出ていたのは感謝の言葉でした。
 そして、

「あの私……その……」

 その先の言葉は、

「そんな事より……!! まずは泳ぐぞ!!」

 口にすることができませんでした。美希さんに歩さん共々、プールへ刈り落とされたので。

「もぉ!! バカー!! 私まだ水着着てないわよ!!」
「うははははー!! だがそれがいい!!」
「ひゃー!! きもちいいー!!」

 怒ったり、喜んだり、やっぱり喜んだり。
 じゃれあいはしゃぎあう三人をプールサイドで見ながら、誕生日にはまだ半年以上ある一三歳のナギお嬢さまが他人事のようにポツリ。

「若者は元気だなー!!」
「あなたが一番若いんですよ?」

 呆れるマリアさんですが、ナギお嬢さまはどこ吹く風。水着に着替えようともしません。泳げないし。
 ですが、そんなナギお嬢さまは一つの可能性を失念していました。ヒナギクさんや歩さんのように自分も突き落とされるという可能性を。
 そんなわけで理沙さんにドボン。

「そんなマリアさんもーってあれ!?」

 続けて泉さんもマリアさんを狙いますが、しかし、マリアさんはそんなのお見通し。闘牛士のようにヒラリとスカートであしらって、泉さんを自爆ドボン。失敗でしたが、泉さん的にはそれはそれでOKでした。

「うわぁあー!! バカー!! 浮かない!! 人は水に浮かないのだー!!」

 そんなわけで、二名増えたプールでは皆がじゃれあう中、お嬢さまはアップアップでした。
 がんばれば足がつかなくもないのですが、お嬢さまに気づく余裕はありません。そんな大混乱中のナギお嬢さまに、二本の腕が伸びました。

「大丈夫、大丈夫、私が溺れないように助けてあげるから」
「ぷは」

 持ち上げてれた歩さんのおかげで、なんとか人心地のお嬢さまですが、受難は終わりません。歩さんまで受難に巻き込まれた、いえ、そもそも受難は始まっていたのです。

「どうでもいいが歩君。スカートなくなっているぞ」

 飛び込んだときに、水圧でスカートが脱げていたのです。

「にゃー!!」

 いくら水中とはいえ、縞パン一枚では恥ずかしいというもの。どこだどこだと水を掻き分け、歩さんはスカートを探し始めました。すると、当然のように両手はナギお嬢さまから離れるわけで。

「わーバカハムスター私を離すなー!!」
「わわ!! ゴメン!! でも私のスカート」

 そんなわけで、プールの中に再び混乱が訪れました。今度は規模を拡大して。
 一方、そんな混乱のビッグウェーブに乗るしかないと思ったのか、美希さんがヒナギクさんにダイブ。ブラやらスカートやらに手を回し大乱戦。ついでに、流れ出理沙さんも泉さんにアタック。

「よーし、ではヒナも全裸にしてしまおー!!」
「わっ!! バカ!! やめなさい!!」

 わーきゃー わーきゃ

 そんなカオスだけれど楽しげな少女達、とりわけナギお嬢さまにマリアさんは目を細めていました。
 一人遅れてきたハヤテ君が、マリアさんに声をかけます。

「楽しそうですね」
「あ、ハヤテ君」
「ていうか、このホテル全部貸し切ったんですか?」

 マリアさんはうなずき、「ここのオーナーはおじいさまですから、貸し切るくらいは簡単ですわ」と答えます。

「本当にすごいですね。ギリシャでこれだけのパーティーが簡単に開けちゃうなんて……」
「まぁ自分ちでパーティーするのと変わりませんからね」

 なんでもないことのようにマリアさんは言いました。実際、なんでもないことなのでしょう。そして、おそらくその認識はナギお嬢さまも変わらないのです。

 『あの贅沢がしみついた娘が、金がない生活ができると思うか?』

 目の前の光景がその答えなのだろう。
 ハヤテ君は、いたたまれなくなり、ゆっくりとその場を後にしました。
 
「ハヤテ君」

 そしてそんなハヤテ君の様子に気づいたのは、マリアさんと、もう一人。

 バシャ。

 プールサイドにようやく上がったナギお嬢さまでした。



 
 
 
 重い足取りで歓声をあげる少女達から離れると、ハヤテ君の思考は再び昨夜から何度も繰り返してきた自問に戻っていきました。
 ナギお嬢さまか、アーたんか。
 選べるのは一人。どちらかを選ばなければならない。
 選ぶ基準は、大事な方。
 時間がない。それなのに答えは出ません。熟考しようとしても、考える端緒にすら辿り着けないのです。

 ――大事な方? なんだよ大事な方って?

 理不尽な問いでした。
 アーたんとお嬢さま。そんなのどっちも大事に決まっているのです。天秤にすら乗せたくはない、大切で大事な存在。
 けれど、皆、ハヤテ君に選べというのです。どちらか一方の人生を選択するのです。
 選択の象徴である宝石を、ぐっと握りしめ、ハヤテ君の思考はグルグルと同じところを回り、そして何度も訪れた終着点へと到達しました。

 選べない!! 選べるわけがない!!

 設問への不毛な拒絶でした。
 選べばどちらかの人生を根本的に破壊してしまう。そんな理不尽な問いにハヤテ君は答えを出すことなんてできませんでした。
 ですが、選ばなければならないのです。審判の時間はもうすぐそこなのです。
 恐怖に、閉じた瞼から涙が滲みました。
 二人とも自分を救ってくれました。
 彼女を、ずっと好きでした。
 彼女を、ずっと守りたいと思ってきました。
 その二者択一なんて、不可能でした。
 震える体で、ハヤテ君は祈りました。祈ることしかできませんでした。

 神さま……
 僕の身はどうなってもいいですから……
 どうにか……
 二人を救う方法を。

 そのときでした。
 足音が近づき、止まり。

「ハヤテ……」

 ナギお嬢さまが、ハヤテ君に声をかけたのは。












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