しっぽきり

 クラブサンデー公開があったので、いつもより早い時間で。
「アーたん!!」

 ようやく会えた! 辿り着いた背中に、名前を呼ぶ声は思ったよりもスンナリと出てきました。

「アーたん!! 僕の事……覚えているよね!!」

 そして、確認すべきだったこともしっかりと聞けました。

「えぇ。覚えていますわ」

 覚えている。確信していたとはいえ、やはり言葉として聞けるのは違うもので、ハヤテ君の胸が喜びに一つ高鳴りました。そして、彼女が振り返ると更に、一つ高鳴りました。

「あの時……殺しそびれた執事ですわ」

 彼女が浮かべていたのは濁りのない笑顔。そして、持っていたのは穢れのないよく切れそうな剣。
 ハヤテ君の胸を打ったのは言い知れぬ恐怖でした。
 あ、訓練中にお邪魔しちゃったのかな? そう信じようとも思ってはみましたが、なんだか聞き捨てならない一言が混ざっていました。
 
「え? いやいや殺しそびれたって……あ……アーたん?」

 なので確認してみるアーたん。
 刃を、まるでこれからの働きを期待するかのように、優しく撫でてアテネ様は言います。

「まったくあなたときたらホントしようがないですわね」

 どこの話だろう、いつの話だろう。
 アテネ様はうろたえるハヤテ君を見ながら、まるでそこを突けば過去が出てくるかのように、剣を軽く振って答えます。

「私があれほど信用するなと言ったあんな両親を信用して、あまつさえ私ではなくあんなクズ親をとるなんて……」

 過去の話でした。

「だいたいあのクズ共と比べられた上にあっさり捨てられて!! ずーっとあの城で一人ぼっちにされた私の気持ちを考えた事があって!!?」

 その言葉は剣より鋭く、ハヤテ君の胸に突き刺さりました。
 そして、それの謝罪だとかなんだとかが、ハヤテ君がアテネ様に会いたいとここまで駆けつけてきた理由の一つ。
 なので、ハヤテ君は、そのことについて話そうとしました。ですが、さすがに、一番痛いところを突かれた直後だけあってしどろもどろ。
 上手く言葉を出せないうちに、アテネ様は形のいい唇を「そ・れ・に」とゆっくり動かし始めました。

「私は白皇の理事長でもあるのですから知ってますのよ!! あなたの最近の素行を!!」

 あ、現在の話もだ。
 アテネ様が指差し指摘するのは、ハヤテ君の女性問題でした。自分が過去の女になったのをいいことに、女をとっかえひっかえ。ある時は年中無休なメイド服を脱がしバニーを着せ、ある時は巫女服を脱がしバニーを着せ、ある時は喜び嫌がるMっ子に問答無用にバニーを着せ、ある時は普通にバニーを着せ、ある時はペタっ子にバニーを着せたと糾弾します。
 覚えのないハヤテ君は必死に否定しますが、アテネ様にとってはそんなハヤテ君の否定すら、女々しい罪人のやることに見えるようで、ブツン。

「ハヤテなんか……ハヤテなんか……」

 そして剣でズバン。

「大っっっ嫌いよー!!!」

 という夢でしたとさ。
 そして、今。ハヤテ君はそんな夢と傷にうなされていたことは忘れていました。いえ、忘れさせられていました。
 掌の中の指輪に。
 それはハヤテ君がアテネ様に贈った指輪に他なりませんでした。
 これがここにあったということは、つまり彼女は自分を覚えている。
 大っ嫌いよー!!
 夢の中の言葉が蘇りますが、それは仕方のないことです。自分のやってしまったことを考えれば、好きでいて欲しいだなんて、思えるわけもありません。
 とにかく今は、彼女と話がしたいんだ!!
 そうしなければ、何も始まりません。
 ハヤテ君の手当てに使ってくれていたであろう、タオルはまだ湿っていました。それならまだきっと近くにいるはず。その時、カタンと部屋の外で物音がしました。

「あの……」

 聞きつけ、扉を開けるハヤテ君。
 しかし、そこには誰もいませんでした。
 廊下を見回すハヤテ君。天井は高く、幅広く、どこまで続くのか闇に隠れて見えません。
 ハヤテ君は、このお屋敷が相当広いであろうことを察しました。同時に、そこからアテネ様を捜し出すのが難儀であることも。更に、障害は広さだけではなく、自分をボコボコにしたあの敵と遭遇するかもしれない可能性にもハヤテ君は気付いてしまいました。
 ですが、そんなことはどうでもいいことです。今のハヤテ君にとってすべきことは、彼女と話をすること。そのためになら、どんな労苦も厭いません。それに広いといってもしょせんは家です。しらみつぶしにあたっていけば、いつかは辿り着くはず。
 そして、ハヤテ君は捜し始めました。

「アーたん!!」

 寝室を。

「アーたん!!」

 応接間を。

「アーたん!!」

 庭を。

「アーたん!!」

 外を。

「アーたん!!」

 キッチンを。

「アーたん!!」

 浴場を。
 ここで切れた息を整えるために深呼吸。それ以外の他意はありません。入った形跡がないことにガッカリはしましたが。
 気を取り直して、再び駆け出すハヤテ君。

「アーたん!!」

 引き出しを。

「アーたん!!」

 砂糖入れを。
 結果、ハヤテ君は思いました。
 広い……!!
 お金持ちって奴はどーしてこう広い家に住みたがるのか。ハヤテ君には理解できません。いまだって、広い三千院邸に住んじゃいますが、それはそれ。半ば仕事場でもありますし、自分の家という感覚は薄いのです。
 なので、人間が住むのを許されるのは2LDKまでだよね、などとボヤいていると、頭が痛みました。
 いくらハヤテ君のスペックが人間離れしていて、手当てをしてもらったとはいえ、流血したのは今さっき。傷は癒えるわけもありませんし、血を失った体は思うに任せません。
 だからといって、ハヤテ君は足を止めるわけには行かないのです。彼女に会うまでは。
 どこにいるの? アーたん……!!








 自分の名前を呼ぶ声を、私は彼のすぐ近く、ただし彼からは見えない曲がり角で聞いていた。
 ハヤテが発見できなかったのではない。彼が自分を呼ぶ声を聞きつけたアテネが発見されないように隠れたのである。
 そして、私の名前を呼び、私を捜すハヤテの姿は、私に一つの事実を確信させていた。
 彼は、私があの日々を覚えていることに気付いている、と。
 いったい何を話せばいいのだろう?
 物陰から彼の姿をそっと見ながら私は惑う。どう切り出すのか。何を伝えるのか。
 いっそ……このまま帰ってくれたら。
 しかし、逃げ出すような感情を、目的を定めた意思が邪魔をする。
 庭城の道を開くために、オリジナルの石を絶対に入手しなければならない。そう決めていた。何度も、決めていたのだ。そして、それは手を伸ばせばそこにある。
 だがそれを奪ったらハヤテはどうなる?
 遺産がかかった石を奪われるのだ。三千院家にはいられなくなるだろう。それは同時に、ハヤテがようやく手に入れた平穏な暮らしを失うことを意味する。
 私は、彼の自分と別れてからの十年間を正確に知ることはできない。けれど、彼が三千院の執事となった発端、人づてに聞いた、一億五千万円で両親に売られるところだったという事実は知っている。そして、それを考えれば、空白の十年間の明度がどんなものだったかは、容易に想像できる。子供を何度も騙し、果てには売り飛ばそうとする人間が子供をどのように扱ってきたのか。
 だから、胸は痛む。
 私は、あの日、そこからハヤテを救い出せた。
 もう少し冷静になっていれば、言葉を選び、優しく諭せば、ハヤテがあの両親の元に戻ることはなかった。しかし、私はそれをしなかった。
 だから、彼を失い散々泣いて、泣き止んだ後、誓った。いつかハヤテを捜しだし、両親から助けてみせると。
 だが、その願いも叶わなかった。
 よく知る少女から受けた電話にそれを知らされた。
 ハヤテが白皇の試験に一点差で不合格になった。試験に不備はあったが、理事の一人が独断で不合格としたという。三千院家から再考の要請があり、その判断は理事長である自分に任された。
 つまり、ハヤテは三千院ナギの執事だと、その電話に知らされたのだ。
 所有している財では、三千院帝に及ばないにせよ、三千院ナギにとっても一億五千万円などという額ははした金に過ぎないのだろう。
 ならば、彼は、救われたのだろう。
 発見したと同時に、彼は他人に救われていた。
 編入を認めてから数日後、気付かれないように彼を見に行った。
 遠くから見る彼は笑っていた。
 不幸に耐えるためではなく、ただ純粋に幸福であるから。
 はしゃぐ主と、穏やかに佇むメイドに挟まれて、自分ではない二人の側で笑っていた。
 彼の呪縛はもう解かれていたのだ。彼は満たされているのだ。
 それを、自分は壊そうとしている。
 あの幸せそうな笑顔を歪ませようとしている。
 石を奪えば、彼は三千院家にいられなくなるだろう。主がそれを許さずとも、周囲がそれを否定するであろう。あるいは、彼は他者からの裁きを待たずに責任を感じて主の前から姿を消すかもしれない。
 どちらにせよ、彼の平穏はそれで終わる。
 もし、それでハヤテが路頭に迷えば?
 彼は救いを必要とするだろう。私は、彼を救えるだろう。
 簡単だ。あの日のように手を差し伸べればいい。なんなら、あの日の言葉を繰り返してもいい。あの彼と交わした言葉は、一言一句、残さず覚えている。
 そして助け起こしたら、謝るのだ。
 最初はぎこちなくかもしれない。でも、お互いが向き合って過ごしていければ、時間は自分の傷を癒してくれるだろう。彼の傷跡を綺麗に消してくれるだろう。
 そうしたら、彼は自分のために笑ってくれるだろう。
 そうしたら、私は幸せになれるだろう。
 迷路に光が差し込んだような気分になった。そして、その光に映し出されたのは自分の浅ましさだった。
 なんと醜いのですか……私は……。
 抑えられない感情に、拳で壁を叩く。
 醜悪だ。
 彼を幸福にするために、彼に一時の不幸を味わわせようとしている。否、自分が幸福になるために、彼に一時の不幸を味わわせようとしている。
 なんだこれは。
 石を手に入れて、彼を取り戻せる。
 それは最良の結果だろう。
 だがそのために最悪の方法を認めれば、財を狙って自分に甘い言葉で言い寄ってきた、純粋なマキナが嫌悪するあの連中と変わらなくなってしまうだろう。
 第一、十年も前に私は彼を追い出したのだ。それから今まで、不幸になると分かりきっていた場所へ、自分は彼を。
 十年も前に、十年も。
 それでもまだ……好きでいて欲しいだなんて……!!
 なんて身勝手で、醜いのだろう。
 何より醜いのは、自覚しながら、それでも尚未練を捨てられてないでいる自分。
 見られたくない、会いたくない。
 あなたの平穏も奪いたくない。
 だからこのまま会わずに帰って……ずっと他人で……。
 ハヤテ――!!!

「アーたん?」

 声だ。
 聞きたかった声。聞きたくなかった声。自分の名前を呼ぶ声。

「……あ……」

 綾崎ハヤテはそこにいた。
 しまった……。
 私は振り向く。逃げなければならない。見られてはいけない、知られてはいけない。

「待って!!」

 だというのに、彼はは立ち去ることを許してくれない。縫い付けられたように足は動いてくれない。

「一つ……聞きたい事があるんだけど……」
「……何かしら?」

 立ち止まってしまった以上、質問を受け入れざるを得ない。拒絶する勇気はもう持てない。

「僕の事……覚えているよね?」

 彼は尋ねる。そしてもう一度、名前を呼ぶ。

「アーたん……」

 そして、私は――












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ハヤテのごとく! 第244話「好きだけど 好きだから」
「私というものがありながら次々と女をとっかえひっかえ…!!」  ハヤテの夢アホす

2009.10.14 08:30 | 気ままに日日の糧

ハヤテのごとく!244話【好きだけど 好きだから】畑健二郎
あのころ、人々はまだ疑うことを知らなかった。 歴史ロマンに溢れた遠足、楽しい海外らしい冒険……。 旅行は三日間――出発すれば息もつかぬうちに、すぐ終わる。 大した出番偏重を出すこともない……。 私はこんなふうに、GWのミコノス旅行を単純に思い描いていた...

2009.10.15 20:22 | 360度の方針転換