しっぽきり

「そしたら「もうその名前で呼んでいい人はいないんだ」って怒られて……」

 ヒナギクさんがアテネ様と疎遠になったエピソードをそう結んだとき、ハヤテ君は理解しました。
 覚えている!!
 彼女をその名前で呼び、そして去ってしまった人間。それは自分なのだろう。
 そう、気がつけば思考は広がっていきます。
 それならば、彼女はなぜ自分のことを知らないと言ったのだろう? 忘れてしまったのか?
 ハヤテ君はすぐにそれを否定しました。ヒナギクさん達の話を聞くまでもなく、彼女の聡明さをハヤテ君は知っていました。十年前の、あの出来事を覚えているのなら、自分の名前を覚えているのに違いない。でも、彼女は、

 ですから――どこの誰かは知らないと……そう言っているのが聞こえなかったのですか?

 ハヤテ君を無視しました。ハヤテ君を既知の人間として扱いたくなかった。つまり、ハヤテ君のことが本当に嫌いになったということ。
 それはとても悲しいことで。
 ハヤテ君は、誰にも聞かれないように今となっては誰にも許されない彼女の呼び名を小さく呼ぶのでした。

 
 アーたん。


 十年前彼女をそう呼んだ少年。再会した彼はすっかりと大きくなっていました。十年の年月は彼女も承知していましたし、写真も見ていましたが、実際にあった彼の成長は想像以上。そして、中性的な印象は相変わらずでしたが、それ以上に、引き締まった肉体が、動作の一つ一つが、記憶の中にある彼と比べて逞しくなっていました。
 ひどい別れをしてから十年。
 あの日、もう会うことはないと思っていました。だから、涙も零しました。
 けれど、そんな後悔の日々に比べれば、再会は覚悟も迷いもい突然なもの。
 もしも、あんな別れ方をしなかったら?
 ずっとあのままいてくれていたのだろうか? 彼と、そして自分が大きくなっていく十年を一緒にいられたのだろうか?
 そんな過ぎ去ってしまった時間への想像は、不毛なもの。
 彼は今、自分ではない別の存在に忠誠を誓った執事。
 そう、わかっていました。
 今、自分には優先すべきことがある。
 この十年は、彼女にそう判断できる冷静さをくれたはずなのですから。









「そういえば、今晩だっけ? ハヤテ君とのディナー」

 そんなわけで、翌日。
 おはようの挨拶もそこそこに歯をシャコシャコいわしていたヒナギクさんに歩さんはそう話しかけました。
 手を止め口ごもった後、「うん」とだけ短く答えて再びシャコシャコ歯を磨くヒナギクさん。
 そんな彼女の顔が真っ赤なのは、歩さんには確認するまでもなく手に取るようにわかりました。
 二人きりで素敵なディナー。
 うらやましいにもほどがあります。なので、漏れたのは軽い嫉妬混じりのこの一言。

「いいな~私もハヤテ君と素敵なディナーをしてみたいよ~」

 二人でディナー。夕食ではなくディナー。健全な高校生であるところの二人には、背伸びしているような特別な響きです。
 ですが、なにせ相手は鈍感極まるハヤテ君です。響きどおりの特別さが起こるわけがありません。それを察しているのかヒナギクさんも、嬉しさを隠せない声ではありましたが、冷静でした。

「けど一緒にご飯食べるだけよ。それ以上のことは……何もないわ……」
「これを機に告白とかはしないのかな?」

 が、歩さんはそれで許す気はありませんでした。向こうが何もしてこないなら、こっちからしかけてみろとけしかけたのです。
 その質問に、うがいをしようと水を汲んでいたコップを落とすぐらいに驚いたヒナギクさん。彼女の表情がやや沈んだものになりました。
 いじくりが過ぎたかな?
 そんなことを考えていると、ヒナギクさんが質問してきました。

「私が本当にそういう事を伝えたとしたら……どう思う?」
「どう思って……」

 顎に指を当て、考え出す歩さん。心に任せて流れるままに口にした言葉。そこに、ちゃんとした答えや意図を込めてていたわけではありません。
 告白をして、それがうまくいったとして。

「色々、考えちゃうけど……」

 ヒナギクさんとハヤテ君が付き合い始めたとして、それを見たとき自分はなにを思うのか?

「わかんないや」

 驚いたように、じっと見つめてくるヒナギクさん。

「聖人君子ってわけじゃないからさ。嫉妬するかもしれないし、祝福できるかもしれない。けど二人がつき合いだしたらやっぱ泣いちゃうかも」

 ハヤテ君に恋をしている自分。ヒナギクさんの背中を押している自分。
 考えれば矛盾しているようですが、でも、心のままに素直に思えば、どちらもそうしたいと思っている。

「だけど実際にそういう場面にならないと……どう思うかなんてわかんない」

 その先にあるものは、不明瞭、というよりは、自分の操れる範疇にはないもののように思えました。

「けどさ、傷ついたり傷つけたり……誰かを好きになるって事は……そういうことなんじゃなないかな?」

 だからそういう覚悟をして、進んでいくのみ!
 そう、歩さんは思いました。








「うおー!! ここがパルテノン神殿かー!!」

 叫んでみたものの、感動を蘇らせることはできませんでした。
 だって、パルテノン神殿を見るのは二度目。初めて見たときの心の浮きっぷりは再現できません。
 途中から怪しいとは思っていました。道中見る風景は何だか見たことのある風景。ですが、ギリシャ語も現地の地理も不案内な歩さん。ナギお嬢さまに従うしかありません。そして、不安は的中。着いた先はパルテノン神殿でした。
 既に来たことを話していたのにと、わざわざ連れてきたナギお嬢さまに、歩さんは抗議しました。
 ところがお嬢さま、平然としたもので世界遺産は何度見てもいいものと言い放ちます。
 一理認めながらも、歩さんとしては受け入れるわけにはいきません。
 なにせ、せっかくの海外旅行。もしかたしたら、もうこれないかもしれない海外旅行。一つのところをじっくりではなく、色々な名所を見学しておきたい。貧乏性かもしれないと、思いながらも、歩さんは必死に訴えました。
 
「色々ね~……」

 頭をかきながら、考えるナギお嬢さまは、手を止めると、周りをグルリと見渡しました。

「ていうか、白皇の三人はどうしたのだ?」

 なんでそんなことをと歯噛みしながらも、前夜寝てない三人は夕方まで起きてこないことを説明しました。

「ヒナギクは?」

 高いところが怖いから一心不乱に神殿見学をしていると説明しました。
 不満げで訝しげな顔な歩さんの前で、ナギお嬢さまは、指折り数えてうなずきました。

「私とマリアとハヤテとヒナギクとお前で……」
「ちょうど五人ですわね」

 心得たりとばかりにマリアさんがほほえみました。

「じゃあ今一〇時だから……とりあえず遅い朝食でも食べるか」
「ですわね~」
「ええっ!?」

 会話の流れを完全に無視したような、のんびりした会話をする主従に、歩さんは驚きました。
 歩さんは海外旅行経験はありませんし、ナギお嬢さまとマリアさんは海外旅行の常連という経験の差を考えても、ナギお嬢さまの頭の中にあるプランは、色々回りたいという歩さんの要望とはかけ離れた、ひどくのんびりとしたものにしか思えなかったのです。
 だいたいガイドブックからして、次に行く予定のデルフィ遺跡までは三時間以上かかると書いてあるのです。現地に詳しそうな二人がどう逆立ちしても、日程がきつすぎるのは想像に難くありません。

「ねぇハヤテ君」

 と、もう一人の同行者に同意を求めた歩さん。しかし、返事は返ってきませんでした。

「って……どうしたのかな? ハヤテ君」

 どうしたのだろう。もう一度声をかけると、「スミマセン!! なんでしょう!?」と聞き返してきました。
 なんだか様子がおかしい、それはナギお嬢さまも同じく感じていたようで、「朝から調子が悪そうだけど大丈夫か?」と顔をのぞき込みます。

「い……いえ、心配にはおよびませんよ!!
 世界遺産とか身の初めてでしたから……ちょっとビックリしすぎてボーっとしちゃいました」

 頭をかきながらそう語るハヤテ君。
 歩さんとしては、それでもなんとなく腑に落ちませんでしたが、もしかしたら、昨日あの三人につきあってて、寝不足気味なのかもしれないと納得しました。
 
「けどそれだと、この先驚きすぎて気絶しちゃうかもだぞ」

 そう納得してしまえば、気になるのはナギお嬢さまの態度。どう考えても、のんびりとしているというのに、

「だって色々見たいんだろ?」

 などと、歩さんを見て言うのです。
 突然吹いてきた風にめくられそうになるページを押さえ、ガイドブックを再確認すると、泣くぜぇ、三時間以上は見てもらわないと泣くぜぇ? 的なことが書いてあります。
 なのだから、早く電車に乗らないとと促す歩さんでしたが、ナギお嬢さまは呆れたようにため息をつきました。

「お前……」

 そして、上空から近づいてくるバラバラという音に負けないように、少し大きな声でこう続けました。

「私が電車に詳しいとでも思っているのか?」

 思えませんでした。
 なので、悟りました。ナギお嬢さまがギリシャでの交通手段に考えていたのは、電車ではなく、バラバラとプロペラを回す、音の発生源、ヘリコプターなのだと。

「デルフィにはどれくらいで着く?」
「三〇分もあれば余裕です」

 あら、六分の一以下。

「ちょっとせまいですけど朝食はヘリの中で食べましょう」

 いえ、十分に広そうですよ。
 呆然と声に出さず相づちを打ちつつ、歩さんは思いました。
 結局、要は、とどのつまり、その発想はなかったと。
 そんなわけで、金の差がある意味想像力の差に繋がる世知辛さを味わいつつ、内装も豪華なヘリコプターに乗り込もうとした歩さんでしたが、あることに気がつきました。

「けどこれ……ヒナさんは大丈夫なのかな?」

 ヒナギクさんは、パルテノン神殿から眺める景色すら眺められませんでした。その高さに上空から降りてきたヘリコプター。つまり、飛ぶのはここよりももっと高い空。
 おそるおそる振り返ってみると、ヒナギクさんは笑っていました。
 あれ? 大丈夫なのかな?
 そんな風にじっと見つめていると、ずっと笑っていました。表情は一片も変わりません。ただし、顔の色はどんどんと白くなっていきましたが。

「まぁ……なんだ……」

 時計をチラリと見て、電車移動では計画が破綻することを確認してから、ナギお嬢さまが空を仰ぎました。

「ビックリしすぎると気絶するから問題ない」

 そして、ヘリコプターには、声にならない悲鳴と、五人分用意された朝食が一人分残されました。









 同じ頃、ミコノス空港。

「あんがとなー」

 パイロットに明るくお礼を言い、軽やかにタラップへと踏み出した少女は、「あつ……」途端に不機嫌になりました。
 遮蔽物の少ない空港に降り注ぐ日差しは、空調が効いて明るさが調節された飛行機内で長時間を過ごしてきた少女には、いささか刺激の強すぎるものでしたし、その日差しの強さで自分がすべきことの大変さが増すように感じられたのです。
 少し自棄になりながら、咲夜嬢は言いました。

「さて……伊澄さんはどこや?」












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ハヤテのごとく!235話【月の欠けた空に】畑健二郎
 その他大勢のキャラクターそっちのけで悶々とするハヤテとアテネなのだった。このシーンだけをみるとアーたんとの恋愛ものにしか見えない。夜の激しい部分は当局にカットされたか……。  嫌われなれているハヤテでなくても、あの反応は嫌われたと判断するしかないわな...

2009.08.05 23:31 | 360度の方針転換

ハヤテのごとく! 第235話「月の欠けた空に」
「それはつまり…僕の事が…本当に嫌いになったという事で…」  やはり落ち込む方

2009.08.06 02:53 | 気ままに日日の糧