しっぽきり

 エーゲ海から流れてくる冷たい夜風の中をハヤテ君は足取り重く歩いていました。
 アテネを略してアーたん。
 ハヤテ君にとっては、一〇年前とても大切に呼んでいた、そして、今はとても重たいその名前。
 しかし、そんな名前を持つ彼女は、ハヤテ君のことなんて覚えていなかったのです。
 それならば、それでいい。
 彼女が、自分のことも酷い形になったお別れも、覚えていないのならばわざわざ思い出させる必要はない。
 ハヤテ君が受け入れようとしている現実は、彼が望んでいたものとは遠く離れたものでした。
 彼女が自分のことを覚えていてくれたら、自分が間違っていたことを話して謝る。そして、仲直りをする。
 そんな再会をハヤテ君は望んでいました。ですが、彼女が自分を覚えていなかったと知った今では、あり得ない未来。
 消え去ってしまった未来への未練か、消え去ってしまったが故に離れて見られるようになったのか。気がつくと、ハヤテ君は漠然と描いていた未来の先を考えていました。
 その先になにを期待していたのか?
 彼女の事情を置いてくおくとしても、今の自分はナギお嬢さまの執事。昔のように、彼女の執事となることは不可能。
 だとすれば、自分と彼女は?
 不毛と自覚しながらの思考を遮ったのは、車のクラクションとクラスメイトの声でした。






「うおーい!! ハヤ太君」

 船の上でうっかり一寝入りと洒落込んでしまったために、眠れなくなってしまった生徒会三人娘。どうせ眠れないのだからと、半ばヤケクソ気味に、なかなかできないアテネ市内の夜間ドライブを決行することにしました。と、そんな帰り道で発見したのがハヤテ君。彼も夜景でも見に来たのか、テクテクと夜の街を歩いていたのです。車は広いリンカーン。せっかくだから多いほうが楽しいだろう。そんな風に考えて同乗を進めた車中。

「いや~しかしハヤ太君が夜遊びとは……」
「しかも一人で……」
「ハヤ太君も寝れなくて夜景見にきてたの?」

 いじくる相手が出来て、これ幸いとばかりに話しかける一同。

「何を言う!! ナンパに決まってるよなぁ!!! ハヤ太君!!」
「金髪か!? やっぱ金髪がいいのか!? ハヤ太君は!?」

 なのですが、

「そんな……ナンパだなんて……僕が女の人に相手にされるわけないじゃないですか……」

 いつもなら顔を真っ赤にして反発して来るはずのハヤテ君は、どんよりと答えた後は、うつむくばかり。押しても引いても、話が広がりそうなリアクションが返ってこない泥沼のような暗さに言葉を失う、理沙さんと美希さん。
 しばらく車内にエンジン音が流れました。無論、そんな重い沈黙に耐えられるはずもない二人。なので、泉さんに恋バナをして盛り上げる役を振ってみました。
 自分に押しつけられた厄介な役回りに困惑しつつも、そんなトライアンドエラーのエラー部分が強調されるようなシチュエーションは嫌いではない泉さんは、ちょっと前に盛り上がっていた話題をハヤテ君にも振ってみることにしました。

「ハヤ太君は……チューとかした事ある?」

 自分たちなら一晩は盛り上がれること確定な、というよりは実際問題盛り上がったこのネタなら、ハヤテ君にも何か反応があるだろう。そんな風に期待して振った恋バナは、

「チュー……」

 なぜかハヤテ君をより落ち込ませてしまいました。自分のチュー体験を話すことも考えましたが、聞いてこれなのです、聞かせたところで反応があるとは思えません。
 打つ手はなくなりました。
 気まずい沈黙。お互いがお互いに、何か喋れよと牽制したりつっついたりしますが、泉さんも理沙さんも、もちろん美希さんも切っ掛けを見つけられずに口ごもるばかり。

「あの……」

 そんな沈黙を破ったのは、それを作り出しているハヤテ君でした。

「なに!? なに!? ハヤ太君!!
 なんでも聞いてよハヤ太君!!」

 これを逃すとばかりに聞き返す泉さん、ふんふんと頷く理沙さん、身を軽くのりだして聞く姿勢十分の美希さん。

「白皇の理事長の……天王州さんってみなさんご存知なんですか?」

 そんな姿勢の三人でしたが、ハヤテ君が少し意外なことでした。
 何でもいいと思ってはいましたが、三人の答える口はやや重いものでした。
 天王州アテネ、理事長さまの存在も三人にとっては重たいものだったのです。
 有能な生徒を集めてきた白皇の中でも歴代トップクラスの超天才にして、強くて美人、あげくに三千院家とすら真正面から勝負できる大富豪・天王州家の全てを所有する大頭手さま。あと、豊乳。
 そんなわけで天から何物も与えられたパーフェクト∀ガンダムみたいな存在には、ごくごく普通の大金持ちな一般生徒の彼女達には恐れ多くて、近づくことすらためらわれる存在なのです。
 ところが、そんな理事長さまと学内で普通に会話できる人が一人。

「ヒナだよ」

 桂ヒナギクさんでした。
 強く賢く美しい。若き理事長と生徒会長は、白皇でも話題となるほどのコンビでした。
 ところが、そんなヒナギクさんも去年の終わりごろから喧嘩でもしたのか疎遠になっていたというのです。
 そんな話をしているうちに、車は三千院家別荘に到着していました。




 リンカーンが敷地に入ってくるのを見て、なんとはなしに玄関へと足を向けるヒナギクさん。漠然とした期待を裏付けるように、目の前に止まったリンカーンから最初に出てきたのはハヤテ君でした。

「あ~ようやく帰ってきた!!」

 そうとがめるヒナギクさん、更に何か言おうと言葉を探していると、ぞろぞろと出てきたのは泉さん、美希さん、理沙さん。夜のお散歩中だったという彼女達に毒気を抜かれ、ハヤテ君を叱る気もなくなったヒナギクさん。それでも最後に、「急にいなくなったら心配するじゃない」と嗜めました。
 そんなヒナギクさんへの謝罪も一段落すると、ハヤテ君はこんなことを聞いてきました。

「ヒナギクさんって……理事長とお友達だったんですか?」
「へ? 天王州さん?」





 

 入学してまだ間もない頃。ヒナギクさんは広大な白皇校内に興味津々でした。以前からの友達だった美希さん達と違って、ヒナギクさんは高校からの入学組。白皇のことはまだ何も知りませんでした。
 その日も、以前に使っていた校舎に興味を持ち、その近くの森を散策していました。
 そして、ヒナギクさんは彼女と出会いました。
 どこか憂いを秘めた表情で泉の前に立つ少女。
 綺麗に流れる金色の髪に黒のドレスがどこか人間離れした、まるで人形のように綺麗な少女。

「新入生が私に何かご用?」

 少女が話しかけてきて、それにひどく驚いて、ヒナギクさんは自分が少女に見とれていたことに気付きました。
 それはそれとして、話しかけられたなら何か応えなければいけません。あわてふためき言葉を探し、転がりでたのが、

「メ……メアド交換しない?」

 いきなりの「友達にならない?」宣言でした。
 後で、その少女、アテネさんがチート気味のスペックの理事長であることを知り、我ながらその行動に驚くやら怖くなるやらの感想を抱くヒナギクさんでしたが、それがアテネさんには好ましく映ったのでしょう、彼女は微笑んで言いました。

「あなた面白い方ね……」

 そういう物は持っていないと断りつつ、アテネさんはやんわりと指摘しました。

「それと初対面の人に、何かお願いする時は……まず自分の名前を名乗る方が良いのではなくて?」

 慌てて、名乗るヒナギクさん。

「えっと……あなたは……?」

 そう聞き返すのを許してくれたことで、彼女は優しい人なのかもと思ったヒナギクさん。

「アテネ……天王州アテネ」
「アテネ」

 そして、

「この星で最も偉大な女神の名前よ」

 なんて自信家なのだろうとも思いました。
 そんな感じに、ちょっとズレた出会い方をしたヒナギクさんとアテネさん。彼女自体が頻繁に学校に姿を見せなかったとはいえ、見かければ話す仲。少しずつ、話しているうちに、彼女も心を許してくれたのか、家庭のことやらなにやらを話していくうちに、共感し、打ち解け、仲良くなっていきました。
 そんな感じの関係を半年程続けていた頃。いつものように彼女と話しているとき、ヒナギクさんはふと思いました。
 天王州さんってなんだか他人行儀な呼び方だな。あと、地味に言いにくい感じ。
 なので、提案しました。お互いもっとフレンドリーな呼び方をしてみてはどうかと。
 アテネさんは持っていた文庫本に目を落としながら言いました。

「それで? どんな可愛らしい名前で呼んでもらえるのかしら?」

 聞き返されて考え出すヒナギクさん。

「そうね~可愛らしい名前か~」

 彼女のリクエストを汲んで、名前を考えるヒナギクさん。どうせなら珍しいアテネという名前にひっかけた名前にしたいと、考えに考えたヒナギクさん。

「あ! だったら天王州アテネのアテネを略して……」

 アテネさんとヒナギクさんは、白皇生徒的に考えると、見事に釣り合っていました。完璧な理事長に、これまた一年生で生徒会長を努めるぐらいに優秀なヒナギクさん。ところが、ヒナギクさんには二つほど明らかにアテネさんに及ばないところがありました。
 一つは外見的な問題のアレコレ。そして、もう一つが幼稚園児並のネーミングセンスでした。

「アーたんって呼ぶのはどうかしら?」




 
「そしたら「もうその名前で呼んでいい人はいないんだ」って怒られて……」

 語り終えたヒナギクさんに、美希さんも、理沙さんも、泉さんも呆れていました。

「そりゃ怒られるだろ」
「相変わらず最低のネーミングセンスだな」
「いくら私でも、ヒナちゃんには渾名つけられたくないな」

 そして、だから気付きませんでした。
 ハヤテ君が、「アーたん」という名前を聞いた瞬間に顔色を変えたところを。












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