しっぽきり

 その人のことが大切でした。
 その人と過ごしたのはとても綺麗な時間でした。
 その人がその時の全てでした。

 この星でもっとも偉大な女神の名前。

 でも、その人の世界の全てを知ることはできませんでした。






「え~それではみなさん。ミコノスへの別れと今後のたびの健康を祈って……」

 指名の経緯はどうあれ、一年間いいんちょさんを努めた泉さん。経験は何よりの財産のようで、司会ぶりも堂に入ったものでした。

「カンパーイ」

 それぞれのグラスが打ち鳴らされ、簡単とはいいながらも、金持ち基準の簡単なので、それは豪華なミコノスへのお別れ会が始まりました。会場は、アテネに向う豪華客船船上。爽やかな潮風と差し込む夕日。賑やかながらも穏やかな時間が流れていきます。

「ミコノス島……もう見えなくなっちゃいましたね」

 名残惜しそうにミコノス島を振り返るハヤテ君。「ああ、そうだな」と何気なく頷くナギお嬢さま。お嬢さまにとっては、慣れているというよりは実家感覚でしたが、ハヤテ君にしてみれば、初上陸した海外。そんな感情が顔に出ていたのか、ナギお嬢さまが「もう少しいたかったのか?」と問います。苦笑しながら、ハヤテ君は頷き、しみじみ言いました。

「ホント……色々あって楽しかったですから……」

 視線がハヤテ君に集まる中、

「まだ旅が終わったわけじゃないんだ。そんなにしんみりするなよ」

 そう言って、お嬢さまは笑いかけました。これからが旅の楽しい所だと。

「それではここで楽しいパーティの定番!! 王さまゲーム!!」

 そんなしんみりとした空気もそこまでとばかりに、泉さんが明るく宣言しました。
 抗議のヒナギクさんを華麗にスルー、「負けるのがイヤだからやらないの?」と挑発し巻き込む泉さんの手腕もあって、王さまゲームは実行されました。
 あれやこれやと一回目のクジ引きが終わると、「王さま、だ~れだ!!」の声に反応したのは、美希さん。その美希さんの命令は、

「ヒナギクが王さまのほっぺにチューをする」

 番号もへったくれもない命令に、これまたヒナギクさん猛抗議。
 が、王さまは私という宣言もあって、「もう」だとかなんだとか言いつつほっぺに軽くチュー。お酒でも呑んだみたいに顔を赤くしたヒナギクさんに「バカみたい」とか言われながらも、美希さんは幸せそうでした。
 やりたい放題な王さまに呆れるナギお嬢さま。同意しつつも、ハヤテ君の脳裏に浮かんだのは、三千院家が持つという「王族の力」、そして過去にそれを奪おうとし、ナギお嬢さまを捨てた姫神さんのこと。

「どうした?」
「い、いえ……なんでもありません」

 しかし、ハヤテ君はお嬢さまの執事。
 咲夜さんの誕生日、一人で月を見ていたナギお嬢さまの淋しそうな背中を思い出せば、そしてその理由の一つが、間違いなく姫神君のことを考えれば、お嬢さまの心の傷に触れてしまうことは明白で、とても興味本位では聞けません。
 そんなことを話しているうちに、ゲームは二回目に突入。今度の王様は、ナギお嬢さま。
 お嬢さまの命令はこうでした。

「じゃあ二番と三番がハヤテに女装させる」

 振り向けば、二番は理沙さん、三番はマリアさん。
 女装という命令を考えれば、理沙さんは言うまでも無く、マリアさんは前科持ち。容赦だとか手加減だとか情けだとか期待できる相手ではありません。誰か止めてくれないかと期待を込めて見回してみても、視線を逸らすばかり、というよりは、その逸らした視線は女装を期待しているようで、誰も止めてくれそうにありません。
 最後のあがきと、対象が番号を無視する形で指定されたことをハヤテ君、猛抗議。
 が、王さまの権力は絶大でした。
 
 

「いや~しかし意外と盛りがったな~」
「たまにはこういうクルージングも楽しいですね」

 会話する主従の顔は、どちらも柔らかい笑顔。いつもなら、船室内でお茶を呑みながらDSか、甲板でコーヒーを飲みながらPSPとしゃれ込むのがお嬢さまのクルージングの常でしたが、今は騒ぎ疲れて眠っているクラスメイト達とはしゃいだ時間も悪いものではありませんでした。

「な? ハヤテもそう思うだろ?」

 が、ハヤテ君は答えられませんでした。

「その前に執事服に戻っていいですか?」

 代わりに答えたのは、ウサミミとメイド服ベースに胸元のベルがチャームポイントでミニスカの、ハーマイオニー。理沙さんの執念とマリアさんの技術に寄る傑作でした。
 そんなわけで、許可を貰ってハーマイオニーはお着替え。ようやく、執事服に着替えるハヤテ君は、マリアさんまで悪ノリしてと非難。
 着替えの仕上げにと、王玉の位置を直し、タイを結ぼうとしたとき、ナギお嬢さまが尋ねました。

「けどその石……なんで破壊なんだろうな?」

 遺産を継ぐために必要というのなら、奪うことは理解できるけど、壊す意味が分からない。そういうナギお嬢さまに、ハヤテ君は「たしかに」と頷きました。
 すると、起きていた歩さんが、根本的な疑問を口にしました。
 そもそもこの石はなんなのかな?
 当然のことながら、ハヤテ君は知りません。身に付けていただけですし。名前を教えてくれたマリアさんに振ってみると、彼女も知りませんでした。

「それは……絆の石だ」

 ポツリとナギお嬢さまが呟きました。

「昔々の王さまが、星の力を集めて作った願いの石。
 強欲を試す祈りの石。
 たとえこの身を犠牲にしても、君を守りたい救いたいという、強い思いに形を与えた……絆の石。
 もしもその光を失わず、ずっと持ち続けている事ができたなら、永遠の向こう側でいつか、愛の意味さえ知る事ができるだろうと……」

 「教えられた」そうナギお嬢さまは、詩でも諳んじるかのような王玉の説明をして、目を伏せました。
 誰に教えられたのか、尋ねると、お嬢さまは首を横に傾げました。

「さぁな? 八年も前の話だ。もうよく覚えていない……」

 いい終えると、ナギお嬢さまは船室へと向かい歩き始めました。
 
「さ~て、そろそろアテネにつくぞ。下船の準備だハヤテ!!」

 言われてみれば、たしかに陸地はすぐそこ。結局、王玉が何なのかも、壊してもいいという遺産のルールも分かりませんでした。
 ――でも、守りたいという想いに形を与えた石ならば、僕は守り抜くだけだ。
 ハヤテ君は王玉を一度ギュっと握ると、船室へと姿を消したお嬢さまを追いかけました。




 
 ――寝付けないな。
 明かりを消して数分経つというのに、睡魔はちっともやってきません。
 時間は既に深夜。平均睡眠時間三時間の毎日から考えればいつもは起きている時間ですが、ベッドに入ればすぐに眠れるハヤテ君。寝付けないのは珍しいことです。
 ハヤテ君を眠らせなかったのは一つの名前。
 アテネ。
 諸々の雑事や、お嬢さま達と時間を過ごしていれば、強く意識することはありませんでした。しかし、その名前を冠した街で、一人ベッドで寝付けない時間の中にいれば、その名前を、その存在を無視することは不可能でした。
 あの日、悲しませ、失って、自分の中の時計を止めてから十年。
 強く意識してしまえば、しばらくは眠れそうになく、諦めてハヤテ君は夜風にでも当たろうとベッドかを出ました。 
 幸い、外は心地よい風が吹いていました。
 一〇年前に、止まってしまった自分の時間。それが再び動き始めることはあるのだろうか?
 漠然として、そして巨大な疑問には、いくら考えても答えは出ず、かといって容易に忘れられる物でもありません。

「なに一人でたそがれてんのよ」

 突然聞こえた、思わぬ声に振り返ると、そこにいたのはヒナギクさんでした。
 夜遅くなったことや、市街の端に位置する別荘から、明日わざわざ迎えに行くのが面倒だからと、ヒナギクさん達も別荘に泊まることになっていましたが、時間は深夜。遅くに鉢合わせたことに驚くハヤテ君に、船で居眠りしたからとなんだか眠れなくなったのだとヒナギクさんは説明してくれました。

「ハヤテ君も眠れないの?」

 聞き返してきたヒナギクさんに、ハヤテ君は頷きました。

「少し考え事をしていたら……」
「へ~考えごとって?」

 話してしまえば、忘れられるかもしれない。それに、彼女とヒナギクさんは違う世界に住む存在。名前を口にしたところで、何も知らないヒナギクさんからしてみれば、場所柄そんなことを考えた、ぐらいに思うだろう。

「アテネ……っていう、名前について。
 この星で……最も偉大な女神の名前だなぁって……」

 少しの間を置いた後、ヒナギクさんが弾かれたように笑い出しました。
 まさか笑われると思っていなかったハヤテ君。

「何を笑っているんですか? ヒナギクさん」
「だってハヤテ君ったら……急にそんな事言われたら、笑っちゃうに決まっているじゃない」

 笑い止まないヒナギクさんですが、ハヤテ君にしてみればまだ意味が分かりません。
 
「え? なんでですか?」
「なんでって……そりゃそうよ。だってそれ……」

 その音を、一人の少女以外の口から聞いたことはありませんでした。
 その名前を、彼女の口以外から聞いたことはありませんでした。
 それなのに、目の前の少女は、

「天王州さんの口グセでしょ?」

 彼女の名前を口にしました。
 まるで知り合いみたいに。まるで友人みたいに。
 まるで、同じ世界の住人みたいに。

「……え?」

 驚愕の呻きは闇に消え、そしてゆっくりと何かが動き始めました。












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2009.07.08 22:57 | 360度の方針転換