夕日を受けて、バスケットに置かれたパンの皮が輝いていました。
千切り、皿に広げたオリーブオイルに浸して食べれば、とてもおいしいでしょう。もう二つ、いえ一つでもとればお腹も一杯に膨らむでしょう。
でも、取ってしまったら明日の分は? 明後日の分は?
少女は、片手に一つだけパンをとって、バスケットに布を被せると、見えなくなるように棚の奥にしまいました。
少女は一人でした。
おじいちゃんは、少女の会えないところにいて、お父さんやお母さんは既に地上にはいません。
だから、少女は一人でした。
おじいちゃんが、残してくれたものを少しずつ切り崩して生きていかなくてはなりません。
それは、とても不安で、とても息の詰まる、淋しい日々でした。
沈みかけた夕暮れに照らされて、少女は考えました。
誰のせいでこんなことになったんだろう?
何があればこんな思いをしなくて済むんだろう?
「石を破壊するって……そんなのシスターになんの得があるっていうんですか!?」
ハヤテの訴えを、シスターは「うるさい」と切り捨てました。
得がなかったとしても、シスターの感情を止めることはできません。
あの金髪の少女。
望めば何でも手にいられて、着飾り、時には全てを嫌がり、思うがまま怠惰に日々を過ごす少女。
そんな人間が、自分の手に入らないものをこれ以上手に入れるのだと考えるだけで、シスターは膨れ上がる感情を抑えることができませんでした。
とはいえ、事情を知らない西沢さんにしてみれば、大金を狙う強盗にカテゴライズされるシスターがナギお嬢さまに怒りを燃やす理由がイマイチ理解できません。
そんな西沢さんに、昔シスターのお父さんが、ナギお嬢さまを暗殺しようとしたときに邪魔をされ、とんとん拍子に道を踏み外し、最終的にフグの毒に運悪く当たってしまったという説明をしようとしたところで、ハヤテ君はあることに気付きました。
ゴミ箱に潜んでいた暗殺者、それを退治した少年、シスターの小さな頃、そしてミコノス島。
条件が整えば、後は簡単なことでした。
シスターの父親を撃退したのは、自分なんだ。
因縁を自覚したハヤテ君でしたが、そんなことは推察しようもないシスターが抑えきれない感情を生んだ過去を少しずつ、口にし始めました。
お父さんがなくなって以来、唯一の肉親であるおじいちゃんですら塀の中。ずっと一人で、貧乏で。
「だから私はお金が欲しい!! たくさんお金が!!」
そして、漏れてしまった感情は、一所だけに留まらず。
「そうして私は好きな人に振り向いてもらう!! お金の力で!!
この恋を!!」
腰を落とし、顔を歪めて、
「あなたにはわからないでしょ!!? 私のそんな気持ちは!!!」
全てを吐き出し、襲い掛かるシスター。
そんなシスターの人生を歪めてしまった原因の一つを自分が担っていたことを自覚しつつも、ハヤテ君は譲る気はありませんでした。
シスターに責がないように、ナギお嬢さまにもまったく責はないのです。
だとするならば、負けるわけにはいきません。
しかし、過去と現在、全てをかけて襲い掛かるシスターを打ち倒すことは、いかにハヤテ君とはいえ、容易なことではありませんでした。
「あなたにはわからないでしょ!? あなたには!!」
彼女が叫ぶ。叫んでハヤテ君に襲いかかる。
ハヤテ君も守るだけで精一杯で、シスターの攻勢が緩む様子はない。
大好きな人が危ない。
それだというのに私は、シスターを咎めることをできなかった。
拳を振るうシスターが、あんまりにも悲しそうだったから。
「届かない想いも……!!」
知っている。
ずっと言えなかった。気づいてもらえるように振る舞っていた。
「振り向いてくれないさみしさも!!」
分かる。
伝えられても、私のことだけを見てくれている瞬間なんてなかった、あの時までは。
ずっと不安で、なのに忘れることなんてできなくて。
でも、
「片想いのつらさも……!! 何もかも!!
だからお金が……!! 振り向かせるためのお金が……!!」
片想いの気持ちが分かるからって、彼女の何もかもが分かる訳じゃない。彼女がどんな思いをして、どんな経験をして、そんなにお金に執着しているのか私にはわからない。
でも、そんなに大切なお金をあげてでも振り向かせたいとシスターは願ってる。
それなら、彼女はその人の、どんなところに恋をしたんだろう?
「私にはいるのよー!!」
振り上げた彼女の手を、私は掴んだ。
「お金で振り向くような人じゃないから……好きになったんじゃないかな?」
シスターの瞳が、大きく見開かれる。
「片想いはさみしいから、どんな手を使ってでも、その人を振り向かせたいって思うシスターの気持ちもわかるけど、その人の事を好きになって良かったと……誇らしく思える生き方の方が……いいんじゃないかな?」
その方が、想われてるその人も幸せだと想うから。
言うだけ言ってしまえば、後はシスターに任せるだけ。私に彼女を止める力なんてない。
シスターは眉をひそめ、視線を落とす。
「こんな石……こんな石――!!」
声と一緒に、石を掴む彼女の指が震える。壊されると思ったのだろう。ハヤテ君が叫ぶ。
そして、
「シスター!!」
ハヤテ君の掌の上で、石を手放した。
「返してあげるわよ。バーカ……」
シスターは、そう言い残して去っていった。
開いた扉から差し込む夕日の中で、振り向いたハヤテ君と私は、笑い合った。
そして、私達も少しの間を空けて外にでた。
わざと遠回りして、夕日の方へ、砂浜へ先を歩く。ハヤテ君も、それに付いてきてくれる。
「夕日がきれいですね西沢さん」
「ホントね~」
眩しい朱色の光りも、塩の匂いも、波の砕ける音も、何もかも夢で見たものより鮮やかだった。
素直に感想を口にすると、ハヤテ君が怪訝そうな顔で聞き返してくる。素直に、夢でこのシーンを見たんだと答えるのも恥ずかしいので、はぐらかしておいた。
「けど、今日はありがとうございました。
西沢さんのおかげで石を守ることができて……」
「いやいや、そんな役には立ってないよ……」
そう言っても、ハヤテ君は納得ができないみたいで。その義理堅さがらしいと言えばらしいんだけど、もっと楽にしてくれたらいいのに。
「これだけお世話になってしまって……
なんてお礼をしていいやら……」
お礼?
少し考えると、何をして欲しいか答えはすぐに出た。というよりは、何をするか思いついた。
「あ、じゃあさ、さっきのペンダントを貸して」
意外な答えに戸惑いながら、ハヤテ君は首から石を外す。受け取り、日に透かしみるとよく分からない模様が刻まれていた。
「ふーん……これが三千院家の遺産を継ぐための石ね~」
一頻り眺めたところで、思いつきを実行する。
なるべく意地悪く笑ってみせて、こう言う。
「ではこれを返して欲しかったら、とりあえず私にチューでもしてくれるかな?」
「は!?」と叫ぶとハヤテ君は途端に慌て始める。
それが可愛くて、もう一押し。
「じゃあ海に捨てちゃおっかな~」
「西沢さん!!」
これ以上やるのもかわいそう、なによりやりたいのはからかうことではない。
「はい、じゃあ返すから手を出して~」
石をハヤテ君に手渡す。ハヤテ君の意識が石に移る。同時に一歩踏み出す。
そして私は、潮騒が鳴り止む短い時間、無音の中でハヤテ君の頬にキスをした。
ゆっくり離す。同時に音が戻ってくる。
再び音が止んだ瞬間、代わりに顔を真っ赤にしたハヤテ君が叫んだ。
「うあああ!! に……西沢さん!?」
驚くハヤテ君に、「何かしたかな」と何事もなかったように言ってみたけど、私の頬も真っ赤だった。
嬉しかったから。
「まぁ今日の所はそれくらいで勘弁しておいてあげる」
砂を軽く蹴りながら言う。ハヤテ君は「もぉ」と恥ずかしそうに頭をかいている。
私も恥ずかしかったけれど、夕日に勇気を貰って、一歩踏み出してみる。
「ハヤテ君。
べ……別にほれちゃっても……いいんだぜ~」
「……西沢さん」
ハヤテ君は優しく笑った。
でも、それは、やっぱりというべきか私の夢に見ていた笑顔ではなくて。
「僕、この旅行に来れてよかったです」
「西沢さんと……こうしてエーゲ海に沈む夕日を見れたから」
でも、今はこれで十分なんだと想う。
ハヤテ君と見ている夕日は、こんなにも綺麗なんだから。
「私も……かな?」
少年は誓う。
自分の掌中の宝石を誰にも渡さないことを。
どんな手段であろうと、どんな強力だると、どんな事情を抱えた相手であっても、渡さないことを。
かつて自分を救ってくれた腕が伸ばされるとも知らずに。
千切り、皿に広げたオリーブオイルに浸して食べれば、とてもおいしいでしょう。もう二つ、いえ一つでもとればお腹も一杯に膨らむでしょう。
でも、取ってしまったら明日の分は? 明後日の分は?
少女は、片手に一つだけパンをとって、バスケットに布を被せると、見えなくなるように棚の奥にしまいました。
少女は一人でした。
おじいちゃんは、少女の会えないところにいて、お父さんやお母さんは既に地上にはいません。
だから、少女は一人でした。
おじいちゃんが、残してくれたものを少しずつ切り崩して生きていかなくてはなりません。
それは、とても不安で、とても息の詰まる、淋しい日々でした。
沈みかけた夕暮れに照らされて、少女は考えました。
誰のせいでこんなことになったんだろう?
何があればこんな思いをしなくて済むんだろう?
「石を破壊するって……そんなのシスターになんの得があるっていうんですか!?」
ハヤテの訴えを、シスターは「うるさい」と切り捨てました。
得がなかったとしても、シスターの感情を止めることはできません。
あの金髪の少女。
望めば何でも手にいられて、着飾り、時には全てを嫌がり、思うがまま怠惰に日々を過ごす少女。
そんな人間が、自分の手に入らないものをこれ以上手に入れるのだと考えるだけで、シスターは膨れ上がる感情を抑えることができませんでした。
とはいえ、事情を知らない西沢さんにしてみれば、大金を狙う強盗にカテゴライズされるシスターがナギお嬢さまに怒りを燃やす理由がイマイチ理解できません。
そんな西沢さんに、昔シスターのお父さんが、ナギお嬢さまを暗殺しようとしたときに邪魔をされ、とんとん拍子に道を踏み外し、最終的にフグの毒に運悪く当たってしまったという説明をしようとしたところで、ハヤテ君はあることに気付きました。
ゴミ箱に潜んでいた暗殺者、それを退治した少年、シスターの小さな頃、そしてミコノス島。
条件が整えば、後は簡単なことでした。
シスターの父親を撃退したのは、自分なんだ。
因縁を自覚したハヤテ君でしたが、そんなことは推察しようもないシスターが抑えきれない感情を生んだ過去を少しずつ、口にし始めました。
お父さんがなくなって以来、唯一の肉親であるおじいちゃんですら塀の中。ずっと一人で、貧乏で。
「だから私はお金が欲しい!! たくさんお金が!!」
そして、漏れてしまった感情は、一所だけに留まらず。
「そうして私は好きな人に振り向いてもらう!! お金の力で!!
この恋を!!」
腰を落とし、顔を歪めて、
「あなたにはわからないでしょ!!? 私のそんな気持ちは!!!」
全てを吐き出し、襲い掛かるシスター。
そんなシスターの人生を歪めてしまった原因の一つを自分が担っていたことを自覚しつつも、ハヤテ君は譲る気はありませんでした。
シスターに責がないように、ナギお嬢さまにもまったく責はないのです。
だとするならば、負けるわけにはいきません。
しかし、過去と現在、全てをかけて襲い掛かるシスターを打ち倒すことは、いかにハヤテ君とはいえ、容易なことではありませんでした。
「あなたにはわからないでしょ!? あなたには!!」
彼女が叫ぶ。叫んでハヤテ君に襲いかかる。
ハヤテ君も守るだけで精一杯で、シスターの攻勢が緩む様子はない。
大好きな人が危ない。
それだというのに私は、シスターを咎めることをできなかった。
拳を振るうシスターが、あんまりにも悲しそうだったから。
「届かない想いも……!!」
知っている。
ずっと言えなかった。気づいてもらえるように振る舞っていた。
「振り向いてくれないさみしさも!!」
分かる。
伝えられても、私のことだけを見てくれている瞬間なんてなかった、あの時までは。
ずっと不安で、なのに忘れることなんてできなくて。
でも、
「片想いのつらさも……!! 何もかも!!
だからお金が……!! 振り向かせるためのお金が……!!」
片想いの気持ちが分かるからって、彼女の何もかもが分かる訳じゃない。彼女がどんな思いをして、どんな経験をして、そんなにお金に執着しているのか私にはわからない。
でも、そんなに大切なお金をあげてでも振り向かせたいとシスターは願ってる。
それなら、彼女はその人の、どんなところに恋をしたんだろう?
「私にはいるのよー!!」
振り上げた彼女の手を、私は掴んだ。
「お金で振り向くような人じゃないから……好きになったんじゃないかな?」
シスターの瞳が、大きく見開かれる。
「片想いはさみしいから、どんな手を使ってでも、その人を振り向かせたいって思うシスターの気持ちもわかるけど、その人の事を好きになって良かったと……誇らしく思える生き方の方が……いいんじゃないかな?」
その方が、想われてるその人も幸せだと想うから。
言うだけ言ってしまえば、後はシスターに任せるだけ。私に彼女を止める力なんてない。
シスターは眉をひそめ、視線を落とす。
「こんな石……こんな石――!!」
声と一緒に、石を掴む彼女の指が震える。壊されると思ったのだろう。ハヤテ君が叫ぶ。
そして、
「シスター!!」
ハヤテ君の掌の上で、石を手放した。
「返してあげるわよ。バーカ……」
シスターは、そう言い残して去っていった。
開いた扉から差し込む夕日の中で、振り向いたハヤテ君と私は、笑い合った。
そして、私達も少しの間を空けて外にでた。
わざと遠回りして、夕日の方へ、砂浜へ先を歩く。ハヤテ君も、それに付いてきてくれる。
「夕日がきれいですね西沢さん」
「ホントね~」
眩しい朱色の光りも、塩の匂いも、波の砕ける音も、何もかも夢で見たものより鮮やかだった。
素直に感想を口にすると、ハヤテ君が怪訝そうな顔で聞き返してくる。素直に、夢でこのシーンを見たんだと答えるのも恥ずかしいので、はぐらかしておいた。
「けど、今日はありがとうございました。
西沢さんのおかげで石を守ることができて……」
「いやいや、そんな役には立ってないよ……」
そう言っても、ハヤテ君は納得ができないみたいで。その義理堅さがらしいと言えばらしいんだけど、もっと楽にしてくれたらいいのに。
「これだけお世話になってしまって……
なんてお礼をしていいやら……」
お礼?
少し考えると、何をして欲しいか答えはすぐに出た。というよりは、何をするか思いついた。
「あ、じゃあさ、さっきのペンダントを貸して」
意外な答えに戸惑いながら、ハヤテ君は首から石を外す。受け取り、日に透かしみるとよく分からない模様が刻まれていた。
「ふーん……これが三千院家の遺産を継ぐための石ね~」
一頻り眺めたところで、思いつきを実行する。
なるべく意地悪く笑ってみせて、こう言う。
「ではこれを返して欲しかったら、とりあえず私にチューでもしてくれるかな?」
「は!?」と叫ぶとハヤテ君は途端に慌て始める。
それが可愛くて、もう一押し。
「じゃあ海に捨てちゃおっかな~」
「西沢さん!!」
これ以上やるのもかわいそう、なによりやりたいのはからかうことではない。
「はい、じゃあ返すから手を出して~」
石をハヤテ君に手渡す。ハヤテ君の意識が石に移る。同時に一歩踏み出す。
そして私は、潮騒が鳴り止む短い時間、無音の中でハヤテ君の頬にキスをした。
ゆっくり離す。同時に音が戻ってくる。
再び音が止んだ瞬間、代わりに顔を真っ赤にしたハヤテ君が叫んだ。
「うあああ!! に……西沢さん!?」
驚くハヤテ君に、「何かしたかな」と何事もなかったように言ってみたけど、私の頬も真っ赤だった。
嬉しかったから。
「まぁ今日の所はそれくらいで勘弁しておいてあげる」
砂を軽く蹴りながら言う。ハヤテ君は「もぉ」と恥ずかしそうに頭をかいている。
私も恥ずかしかったけれど、夕日に勇気を貰って、一歩踏み出してみる。
「ハヤテ君。
べ……別にほれちゃっても……いいんだぜ~」
「……西沢さん」
ハヤテ君は優しく笑った。
でも、それは、やっぱりというべきか私の夢に見ていた笑顔ではなくて。
「僕、この旅行に来れてよかったです」
「西沢さんと……こうしてエーゲ海に沈む夕日を見れたから」
でも、今はこれで十分なんだと想う。
ハヤテ君と見ている夕日は、こんなにも綺麗なんだから。
「私も……かな?」
少年は誓う。
自分の掌中の宝石を誰にも渡さないことを。
どんな手段であろうと、どんな強力だると、どんな事情を抱えた相手であっても、渡さないことを。
かつて自分を救ってくれた腕が伸ばされるとも知らずに。
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2009.06.13 11:09 | 360度の方針転換